「行動の単純化が脳の働きを衰えさせる」「教えない方が選手はのびる「ビールは23歳で好きになる」・・・・・人間には、本来持っている学習のしかたがあります。脳が新しいことを学習するメカニズムのことです。JADEC(能力開発工学センター)では、人間の行動を脳の働き方という視点から分析し、そこから学習のあり方を考えます。
2007/12/10
16 「わかったか?」と聞くときの心構え
「わかる」「わからない」という言葉は、説明されたり教えられたりしたときの、その内容に対する理解の状態の自覚的表現だからである。教えられた内容を、すでに自分の脳―神経系の中にもっている言葉であったり、行動感覚であったりするものを手がかりとしてとらえた、その人の自覚の状態を表現したものなのである。
したがって、「わかったか?」と聞いた側の内容と、「わかった」と答えた側の内容とは、かならずしも一致してはいない。いや、むしろ一致していない方が多いのではないか。説明したり教えたりする側がイメージしている内容や身体感覚と、説明される側、教えられる側が持っているイメージや身体感覚は同じではない。それらは、経験が作り出すものだからである。経験が違えば、作られるイメージや身体感覚も当然異なってくる。
言葉もまた同じである。「高い山」とか「冬は寒い」といった簡単な言葉でさえ、平原に住んでいる者と山岳地帯に住んでいる者、温かい地域の者と寒い地域の者では、同じ意味を持たない。言葉は、経験と並行して、あるいは経験を整理する中で使われてくるからである。したがって、もっと複雑な内容の事柄、経験を土台にしての理解が必要な事柄を理解するのは、実に大変なことである。
言葉や図で説明されたことを、それを説明した者がイメージしているのと同じ内容や身体感覚を持つことができるには、説明した者と殆ど同等かそれ以上の行動経験をし、言葉での表現についても同等かそれ以上の経験をしてきているということが必要である。その経験を手がかりとして始めて、推測できるのである。
つまり、説明をして「わかったか?」と聞くときには、相手の経験を見つつ、聞かなければならない。説明の内容についての経験が殆どない場合の「わかったか?」と聞くのは、殆ど意味をなさない。「何についてどうわかったと思っているのか」を確かめる、という姿勢で対応する心構えが必要だ。
15 「わかる」ということ
話がわかるというのは、話で使われている言葉がわかるということではない。もちろん言葉の意味がわからなければ、話はわからないのであるが、話の内容が本当にわかるということのためには、もっと多くのものを必要とする。 話の内容というのは、世の中の事実であったり、自然の事実であったりする。また、話をしている人の経験であったりする。話をする人は、その事実を見たり経験したりしたことから感じたこと考えたことを、自分の論理でまた自分の言葉で語っている。話を聞くというのは、その結果を受け取っているということである。
話が本当にわかるというのは、話をした人が感じたり考えたりしたことを、自分も同じように感じまた考えることができるということである。つまり、聞き手が話し手と同様に脳を働かせることができた場合に、それを本当にわかったというのである。聞き手が話し手と同様に感じたり考えたりすることができるには、話し手と同等もしくはそれに近い行動経験や論理を組み立てた経験がなければならない。なぜならば、感じることや論理を組み立てることは、そうしたことを経験することによって,脳の行動回路に蓄積されていく能力だからである。
したがって、教師が、自分より経験が少なく論理力思考力が未熟な生徒や学生に、感じたり考えたりする材料や経験する場をつくらず、学習させる内容を講義による説明だけで済ませるということは、行動形成の意味からはほとんど意味がない。
2007/11/30
14 できるとわかる
例えば、自転車に乗る練習、逆上がりの練習、その他何か新しいことを始めたときに、多くの人が経験していることだろう。教えてくれるものは、いろいろアドバイスをしてくれる。しかし、その通りにやろうとしても、なかなかできない。何度も言われると、思わず「わかってるってば!」などと叫んでしまう。しかし、それは「本当にわかっている」のではない。正確に言うと、「わかっていると思っている」「言葉の意味としてわかっている」ということである。行動するときのポイント、考える項目としてわかっているだけであって、行動を成立させるための感覚としてわかっているということではない。
「行動できる」ということは、身体を使った行動なら、「脳⇔身体(行動表現)」の連携ができているということである。その連携ができたとき、本当にわかったというのだ。できたときの「あっ、この感じ!」と初めてわかるその行動感覚だ。その行動感覚をしっかり身につけたとき、そしてそれを自覚したとき、はじめて本当にわかったというのである。
数学や科学のような論理的行動の場合で言うなら、教えられた論理を使って自分ひとりの力で対象をとらえ整理することができるということである。教えられた通りに論理をたどるというのではなく、自分ひとりでその論理を使って様々な対象をとらえるという行動をして、それができるようになったときが、本当にわかったときである。
「わかる」というのは、できたときの行動感覚の自覚なのである。つまり、行動することによってしか本当にわかるようにはならない。「わかるとできる」ではなく「できるとわかる」のである。
大事なのは、言葉であれこれと説明して、わかった気にさせるようにすることではない。その人が行動して、自分でその行動感覚をつかめるようにするために、行動の仕方をアドバイスすることが大事だと言うことである。
2007/09/11
13 試行錯誤の脳行動学的意味
●二つの事例
≪ 事例1 ≫
K大学医学部看護学科、卒業直前、これから看護の現場に出て行く学生たちに、「採血」の予行演習をさせた。2年生のときにしっかりと教えたはずだった。ところが、針のサイズも覚えていないし、正しい持ち方もできない。自信を持って採血できるという学生が、殆どいない。教師たちは愕然とし、残り少なくなった時間の中で、特訓したという。
≪ 事例2 ≫
一方、T看護短期大学の採血の学習。じっくり時間をかけて学生自身で正しい針の選択と、正しい持ち方を見いださせる。いろいろな太さを針を見る。腕のシミュレータを使って血管の太さを調べて比較してみる。針を紙に刺してみて、針の太さによるあいた穴の大きさの違いを見る。グリセリンを加えて血液の粘度に近くした液をつくり、いろいろな太さの針で吸い込ませ、吸い込みやすさを比較する。そして、腕の動脈からの採血にふさわしい針を選ばせる。針の持ち方についての学習も同様に、自分でいろいろ調べさせ、試行錯誤させ、しっかり固定できる持ち方のポイントを発見させる。教師は答えを教えない。調べ方のアドバイスをしたり、モデル行動をして観察の対象になったりするだけだ。
他校のように、針のサイズ・持ち方を教師が説明して教え、それを練習させれば、半分以下の時間で学習が終る。なぜ時間をかけて針の選び方,持ち方を探究させるのか。担当していた教授は言う。教師が説明して教えていたときは、その時間内の学習では出来るようになっていても、時間がたつと学生は針のサイズや持ち方を忘れてしまうことが多かった。ところが、この学習方式にしてからは、忘れなくなった。日頃は意識していなくても、その状況に出会えば対象を測定し判断して、自分で正しい針を選択し、正しい持ち方で採血することができるようになったというのである。
●脳の回路を使うほど、そして関連するものが多いほど、確かな記憶となる
針のサイズや、注射器の持ち方(手の形,指の角度)を教科書で見たり、教師に教えてもらって覚えるというのは、「伝達―受容」型の意味記憶。この意味記憶の場合は、他人の判断の結果をただ受け取るだけで、脳の活動は単純であるから、脳の回路の使われ方が非常に少ない。したがって記憶の量も少ない。
自分が行動したことを覚えるという記憶のしかたを、経験記憶という。脳は、行動したことは全部経験記憶として蓄積していく。成功したことはもちろん、失敗したことも全て記憶していく。見るだけ聞くだけの場合の脳の使い方(意味記憶)に比べると、自分で調べ、試行錯誤させる学習のさせ方は、そのことに関する脳の回路への刺激の量が格段に多い。さまざまな行動の対象の測定、判断、針の選択や正しい針の持ち方や操作を見出すための試行錯誤、そのときどきで使った脳の回路、それらが複雑に関連している。単純な記憶は、忘れやすいが、複雑に関連した経験記憶は忘れにくい。回路の連関として記憶が形成されるからである。
加えて、自分で法則をみつけたものは忘れにくい、ということがある。そのときの感動が加わって、強い刺激として脳の回路に残っているからである。感情が絡むと強い記憶となる。感情を司る扁桃体が、海馬に必要な情報として記憶するよう指令を出すと考えられている。
●学習時間と学習の効果
T看護短期大学のような学習は、一般的には、時間がかかるというので敬遠されている。しかし、教えても覚えていない教育にかける時間の方が無駄なのではないか。学習にかける時間は、単に所要時間だけを問題にするのではなく、学習者の脳の回路をしっかりつくるという観点から、考え直すべきではないか。
12 「木と相談してやりなはれ」
「人に聞いたことはすぐ忘れる。大事なことは木と相談してやりなはれ」
と言って弟子を育ててきたという。木の使い場所の条件を調べ、木の状態を観察し、自分自身で判断してやれということである。人の判断の結果を聞いてもそれはすぐ忘れる、そして次の自分の判断材料とはならないということである。試行錯誤するということが、学習上重要な意味を持つということである。
このことは、脳行動学でも重要なポイントである。自覚的・探究的に行動してきた人間の脳のネットワークは、情報を分類整理しながら、関連付けながらつくられていく。それらの記憶を条件に応じて組合せることによって、応用も利くし、新しいことも生み出せるのである。
それにしても、その道の達人は、人間の行動を見ることにおいても達人なのだと感心させられる。
11 「頭を良くする」ということはどういうことか
しかし、これには条件がある。それは、脳本来の働き方をさまたげない、もっといえばそれを助ける行動のしかた・学習のしかたをするということである。「分類-組み合わせ」型の行動をすればもっと効果的だということである。学習する内容を自身で調べ、視点を立てて分類し、整理するというような学習をするということである。教科書を暗記したり、教師の話をただおとなしく聞いたり、ということではないということである。
10 脳は、単純記憶が苦手
脳の基本的な働き方は、分類してそれを組み合わせるという働き方である。人間は、ごく幼いときは単純記憶が得意であるというが、それは脳学者に言わせれば、得意というよりそういう記憶のしかたしかできないからだという。分類がまだできないのである。成長するにしたがって、脳の働き方はどんどん「分類-組み合わせ」型に移行していく。
脳には、得意なことと不得意なことがある、ということである。教育者は、こういう脳の働きの特質を考えて、教育を行われなければならない。学習者も、学習のしかたを工夫する必要がある。