「負けが金メダルにつながった。」
レスリングの吉田沙保里選手が、北京オリンピック金メダル獲得後のインタビューに応えた言葉である。
2008年1月のワールドカップ団体戦で、アメリカ選手に負け、連勝記録(119)がストップした。
タックルを返されて負けたのである。タックルをするときの自分の癖を読まれていた。そこからタックルの修正をしたという。
「タックルにとびこみ、片足をとった後、横に回りこむようにした。」
「負けていなければ、自分の弱点に気がつかなかった。」
失敗を修正することによって、より高度な技術(わざ)を生み出したのである。
トリノ五輪で金メダルを獲得したフィギュアスケートの荒川静香選手も、失敗を修正した経験が大事であったと語っている。
「あのつらい時期があったから、今の私がある。 同じようなことがあったら、その時間を大事にしたい。」
また、女子レスリングの浜口京子選手は、アテネオリンピックで銅メダルをとった後の会見で、次のように語っている。「もっときれいに輝くメダルが欲しかったんですが、私の人生の中で金メダル以上の経験をさせてもらいました」
その経験とは、敗退から3位決定戦までの短い時間の中で気持ちの切り替えをしたこと。周りも本人も金メダルを確実視してきた、そういう状況下での準決勝敗戦。3位決定戦に勝つために、敗戦による精神的ショックを打ち払い、闘争心を奮い起こした。そういう場におかれて、チャレンジして乗り越えたこと。その経験が、浜口選手をさらにつぎの目標へ向かう姿勢を生み出したのである。
失敗を失敗のままに終らせておいてはいけない。「いやな思い出」のままに終らせてはいけない。
失敗したことがいやな思い出になり、そのことを避けるようになってはいけない。立ち直れないような失敗(挫折)をさせてはいけない。
失敗を克服して、失敗から学んだことが多かった、良かった、自分のためになったという経験をさせなければいけない。失敗したことを克服したい、と思うように育てる。 失敗の克服が、よい思い出(充実感・達成感=快)になるように支援することが、指導する立場の者たちの目標だ。
「行動の単純化が脳の働きを衰えさせる」「教えない方が選手はのびる「ビールは23歳で好きになる」・・・・・人間には、本来持っている学習のしかたがあります。脳が新しいことを学習するメカニズムのことです。JADEC(能力開発工学センター)では、人間の行動を脳の働き方という視点から分析し、そこから学習のあり方を考えます。
2008/12/03
28 成長する組織の条件
できることだけやっていたのでは、成長しない
始めてのことをするときは、たいていは失敗する。
人間の脳は、失敗を修正することによって、目標の行動を成立させるための神経回路を作り上げていくのである。だいたい、初めての行動を行うときには、その行動を成立するための回路は出来上がっていない。人間の脳は、行動したときに発生した神経回路の興奮を記憶するという形で行動のしかたを蓄積していくものだからである。
初めての行動をするときは、その行動を成立させるのに近いものを組み合わせて、脳は対処する。それに不足があれば失敗する。行動表現するための身体の各部と神経回路との信号のやりとりが、目標行動が要求するより遅い場合も失敗する。
人は、何度もやり直してその失敗を修正していく。そうして、だんだん目標の行動を成立させるための回路を作っていくのである。繰り返すことにより信号の伝達スピードも速くなり、やがて目標の行動ができるようになる。
人間は失敗を修正することによって成長していくのである。できることだけやっていたのでは、能力はそれ以上に伸びない。
失敗を許して、チャンスを与える
組織の力は、一人ひとりの力の総合である。失敗させたら組織にとってマイナスと考え、失敗させないようにしていたのでは、そのものの力は伸びない。一人ひとりの力が伸びていかなければ、組織としての力も伸びていかない。
つまり、一人ひとりに少し背伸びをさせて、仕事に挑戦させることが大事だということである。そのものの頭をフル回転させて、仕事をさせる。そして、やったこととその結果を自覚させることが、成長させるためのポイントである。
失敗したら、失敗の原因を分析させる。その対策を考えさせる。そしてもう一度チャンスを与える。それが上に立つもの、指導する立場にあるものの、あるべき行動の姿勢だろう。
そして、もうひとつやること
それは、部下の失敗のカバー。
上に立つもの、指導する立場にあるものは、失敗をカバーする力、失敗に対処する力を持っていなければならない。そうした姿勢と力を持った組織でなければ、成長していかない。
始めてのことをするときは、たいていは失敗する。
人間の脳は、失敗を修正することによって、目標の行動を成立させるための神経回路を作り上げていくのである。だいたい、初めての行動を行うときには、その行動を成立するための回路は出来上がっていない。人間の脳は、行動したときに発生した神経回路の興奮を記憶するという形で行動のしかたを蓄積していくものだからである。
初めての行動をするときは、その行動を成立させるのに近いものを組み合わせて、脳は対処する。それに不足があれば失敗する。行動表現するための身体の各部と神経回路との信号のやりとりが、目標行動が要求するより遅い場合も失敗する。
人は、何度もやり直してその失敗を修正していく。そうして、だんだん目標の行動を成立させるための回路を作っていくのである。繰り返すことにより信号の伝達スピードも速くなり、やがて目標の行動ができるようになる。
人間は失敗を修正することによって成長していくのである。できることだけやっていたのでは、能力はそれ以上に伸びない。
失敗を許して、チャンスを与える
組織の力は、一人ひとりの力の総合である。失敗させたら組織にとってマイナスと考え、失敗させないようにしていたのでは、そのものの力は伸びない。一人ひとりの力が伸びていかなければ、組織としての力も伸びていかない。
つまり、一人ひとりに少し背伸びをさせて、仕事に挑戦させることが大事だということである。そのものの頭をフル回転させて、仕事をさせる。そして、やったこととその結果を自覚させることが、成長させるためのポイントである。
失敗したら、失敗の原因を分析させる。その対策を考えさせる。そしてもう一度チャンスを与える。それが上に立つもの、指導する立場にあるものの、あるべき行動の姿勢だろう。
そして、もうひとつやること
それは、部下の失敗のカバー。
上に立つもの、指導する立場にあるものは、失敗をカバーする力、失敗に対処する力を持っていなければならない。そうした姿勢と力を持った組織でなければ、成長していかない。
27 「なのに」と「だから」 その2
おとなしい兄ときかん気の弟(あるいはその逆)。 上の子は食べ物の好き嫌いがあるが、下の子にはない(あるいはその逆)。「兄弟なのに」どうしてこう性格が違うのか。よく聞く話であるが、これも「兄弟なのに」ではなく、「兄弟だから」と考えるべきだろう。
兄弟だということは、一人ずつ育つのとは絶対的に異なる条件がある。兄には年下の弟がおり、弟には年上の兄がいるということである。兄は、弟が生まれるまでは一人で育てられる。親に自分ひとりが世話されるという経験をしているのである。そこに弟が生まれる。親が、自分以外のものの世話をし、愛情をかける。自分と親の関係の中に入り込んできた新しいものとしての「弟」の存在を意識して育つ。また、新しい存在である「弟」に対して働きかけたり、「弟」から自分への働きかけに対応していく中で育っていく。
一方、弟の方は、始めから年上の兄がいる状況で、兄の行動を見て育つ。兄が自分に対する行動(世話であったり、攻撃であったり)を受けて育っていくのである。こうした経験がそれぞれの脳を育てていくのである。
親の接し方も一人目の子と、二人目の子は違う。親として始めての経験であるひとり目の子育て、その経験を踏まえての二人目の子育て。病気になったとき、けがをしたとき、隣の子とケンカをしたとき、始めてのときと、経験を踏んできたときとでは対応が違うのである。
こう考えると、違うのが当たり前で、同じになるほうが不思議というものである。
「何回もやっているのに」「初めてなのに」「一番若いのに」「女の子(あるいは男の子)なのに」・・・・・・・・・というように、いままで「○○なのに」と考えてきたことは、実は「○○だから」であるということはかなりあるのではないか。逆に、「××だから」は実は「××なのに」である、ということもあるだろう。
人の行動をみるとき、先入観で判断せずに、脳にどのような経験をさせてきたかという視点で、その人の行動を成立させてきた背景をとらえてみることが大切だということだ。そうすると、その人を理解するための視界が開けてくる。
兄弟だということは、一人ずつ育つのとは絶対的に異なる条件がある。兄には年下の弟がおり、弟には年上の兄がいるということである。兄は、弟が生まれるまでは一人で育てられる。親に自分ひとりが世話されるという経験をしているのである。そこに弟が生まれる。親が、自分以外のものの世話をし、愛情をかける。自分と親の関係の中に入り込んできた新しいものとしての「弟」の存在を意識して育つ。また、新しい存在である「弟」に対して働きかけたり、「弟」から自分への働きかけに対応していく中で育っていく。
一方、弟の方は、始めから年上の兄がいる状況で、兄の行動を見て育つ。兄が自分に対する行動(世話であったり、攻撃であったり)を受けて育っていくのである。こうした経験がそれぞれの脳を育てていくのである。
親の接し方も一人目の子と、二人目の子は違う。親として始めての経験であるひとり目の子育て、その経験を踏まえての二人目の子育て。病気になったとき、けがをしたとき、隣の子とケンカをしたとき、始めてのときと、経験を踏んできたときとでは対応が違うのである。
こう考えると、違うのが当たり前で、同じになるほうが不思議というものである。
「何回もやっているのに」「初めてなのに」「一番若いのに」「女の子(あるいは男の子)なのに」・・・・・・・・・というように、いままで「○○なのに」と考えてきたことは、実は「○○だから」であるということはかなりあるのではないか。逆に、「××だから」は実は「××なのに」である、ということもあるだろう。
人の行動をみるとき、先入観で判断せずに、脳にどのような経験をさせてきたかという視点で、その人の行動を成立させてきた背景をとらえてみることが大切だということだ。そうすると、その人を理解するための視界が開けてくる。
26 「なのに」と「だから」
脳の働きに目をつけて人間の行動をみるようになると、それまでの概念を改めなければならない思うことがしばしば起こる。従来は「○○なのに」と考えてきたことが、そうではなくて、実は「○○だから」だったのだと、まったく逆にとらえなくてはならなかったことに気がつくことがある。
たとえば、子どもが暗がりを怖がって、一人では行かれないというようなことがある。そんなとき、周りのものは、つぎのような対応をすることが多い。
Mちゃん、お二階が怖いなんておかしいよ。もう一年生でしょ。
Kちゃんはまだ3歳なのに、一人で行かれるよ。
Mちゃんはお兄ちゃんなんだから、一人で行かなくちゃだめじゃないの。
ところがこれは大間違い。実はKちゃんは「まだ3歳だから」暗いところに行かれるのである。怖いもののイメージができていないからである。「怖い」という感情が育っていないのである。ところが小学校一年生のMちゃんには、大人の話を聞いたり、本を読んだり、TV番組を見たりする中で、脳の中に怖いもののイメージが出来上がっている。その脳が働いて、電気のついていない薄暗い2階の部屋と、怖いものとを結びつけるのである。
つまり1年生のMちゃんは、「怖い」という感情をつくるために十分な経験をしたということである。怖がるということは、その子がそれだけ成長したことを示すものなのである。叱るより、この子の脳にはいろいろな情報が入ってきたな、ととらえるべきなのである。第一、叱っても脳の中のイメージが修正されるわけではないから、無意味である。怖がらないようにさせたいのなら、怖がる必要がないという新しいイメージを脳の中につくるために、どういう経験をさせたらよいかを考えた方がよいということである。
たとえば、子どもが暗がりを怖がって、一人では行かれないというようなことがある。そんなとき、周りのものは、つぎのような対応をすることが多い。
Mちゃん、お二階が怖いなんておかしいよ。もう一年生でしょ。
Kちゃんはまだ3歳なのに、一人で行かれるよ。
Mちゃんはお兄ちゃんなんだから、一人で行かなくちゃだめじゃないの。
ところがこれは大間違い。実はKちゃんは「まだ3歳だから」暗いところに行かれるのである。怖いもののイメージができていないからである。「怖い」という感情が育っていないのである。ところが小学校一年生のMちゃんには、大人の話を聞いたり、本を読んだり、TV番組を見たりする中で、脳の中に怖いもののイメージが出来上がっている。その脳が働いて、電気のついていない薄暗い2階の部屋と、怖いものとを結びつけるのである。
つまり1年生のMちゃんは、「怖い」という感情をつくるために十分な経験をしたということである。怖がるということは、その子がそれだけ成長したことを示すものなのである。叱るより、この子の脳にはいろいろな情報が入ってきたな、ととらえるべきなのである。第一、叱っても脳の中のイメージが修正されるわけではないから、無意味である。怖がらないようにさせたいのなら、怖がる必要がないという新しいイメージを脳の中につくるために、どういう経験をさせたらよいかを考えた方がよいということである。
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