2017/04/13

41 葵の上はなぜ死んだのか?

 ネットで調べ物をしていたら、偶然、表題の面白い記事を見つけた。府中病院総合診療センター長の津村圭氏が書いたものである。「教養としての診断学」という副題がついている。
 “葵の上(あおいのうえ)”というのは、源氏物語の主人公“光源氏”の正妻である“葵の上”のことである。夫にはあまり愛されず、やっと設けたはじめての子の出産後まもなく亡くなってしまう不幸な女性である。


★物語上では、葵の上の死因は恋敵の生霊


 源氏物語の書かれたのは平安時代中期(文献上の初出は1008年)、今から1000年ほど前である。一条天皇の中宮である彰子に仕えた紫式部が書いたもので、当時の貴族社会における物の考え方が読み取れる。医療に関連する記述は複数の巻(章)にあり、当時は、当然のことながら現在のように病気の原因を解明し治療する医学的な手段はなく、加持祈祷が中心であったことがわかる。病をもたらすのは神や霊の怒りであると考えられ、高熱などのためにおこるうわごとや意識障害、せん妄(幻を見たりする症状)などを、神の怒りに触れた、あるいは物の怪に取りつかれたせいだと考えたのである。

 葵の上は、夫の想い人、六条御息所の生霊にとりつかれて亡くなったということになっている。津村氏は、この葵の上の本当の死因を現代医学の視点で解析してみようというのだ。
 津村氏は葵の上の死因をどのように読み解くのか。診断の材料は、物語の中に書かれた事柄だけである。


★葵の上の病状とその経過に関する情報を集める


 津村氏はまず、物語の記述の中から、葵の上の身体的条件t男病気の経過についての情報を収集する。
  1.26歳の女性
  2.妊娠中から体調不良があった
  3.出産時に強い苦しみがあった
  4.出産後には症状は消失していた
  5.出産10日目くらいで急死した
   (3の状況、5の死亡が生霊の性と解釈されたのである。)

 次に、出産と関連して死に至る病として多いものをりストアップする。
  ・逆子(骨盤位)分娩(ぶんべん)
  ・産辱(さんじょく)熱
  ・妊娠中毒症(妊娠高血圧症候群)
  ・周産期心筋症(産褥心筋症)
  ・肺塞栓(そくせん)症
 
 そして診断する。


★葵の上、本当の死因はエコノミー症候群!?


 津村氏は葵の上の死因を肺塞栓症とみる。肺塞栓症は「エコノミー症候群」と言う別名の方がよく知られている。血流が悪くなることによって下肢の静脈などにできた血栓が、血流が回復したときに押し流されて肺動脈に詰まって心臓から供給される血液をとめてしまうもので、しばしば重篤に陥り、時に死に至るという病である。

 別名は、飛行機の狭いエコノミークラスの席に長時間座ることによって、下肢の静脈が圧迫され
血流が悪くなり血栓ができ、機を降りて血流が戻ったとき血栓が押し流されてこの病を引き起こすという例が多く見られたことによってついた。血栓は、血液の状態では、十数時間のレベルでもできるようだ。

 葵の上には、それと同じ状況があったとツムラ氏は見たのである。津村氏は「分娩を経て症状が一時なくなったように見えたのち、急死」したところに目をつける。

○葵の上は陣痛が強く難産だった。それに加えて、妊娠中から体調不良であった。
○周囲は気遣っていつも以上に安静にさせた。葵の上は身体を動かさないようにして過ごした。
○その間に、葵の上の下肢には静脈内血栓(血液の塊)ができていった。
○10日間安静状態が続いたのち症状が回復。葵の上は源氏に手紙を書こうと立ち上がった。
 そのとき不幸にも、その血栓が下肢の静脈から外れた。
○血栓は血流にのって心臓に到達。右心房左心房を経て心臓に到達。

 津村氏は、葵の上の死の状況をこのように推測し診断したのである。
 能の題材にもなった六条御息所の情念のすさまじさの正体が、実はエコノミー症候群であったというのは驚きの推論であるが、確かに妊娠中は、胎児によって腹部の大きな静脈が圧迫されて血の流れが悪くなるので、静脈血栓症の危険性が高くなることが知られている。
 平安期における貴族階級の女性は、その生活の状況から考えると運動不足で、第二の心臓と言われる脚の筋肉は十分ついていないことが考えられ、ただでさえ血行は悪かったであろうし、食生活が偏っていて病気がちであったと推測されているということも考え合わせると、納得の診断結果である。

★医師の診断意欲と診断力

  しかし、この診断結果以上に私が感心したのは、物語の中の病人にまで向かう津村氏の診断意欲である。意欲というより、それはもはや行動習性になっているのかもしれない。病人がいれば、その人はなぜそうした病を発症したのか、原因はどこにあるのかと、と思いを馳せてしまう。

 病気を引き起こす原因は実に様々なものがある。診断のためには、患者の体質や生活の状況、そして病を発症するまでの経緯の把握が大変重要になる。食生活また生活習慣に問題はなかったか、大したことはないと思っている小さな事故や異変はなかったか、そこに至った状況はどうであったか、それらの中に病の原因が潜んでいないか、というように。

 しかし現実には、そうした情報を引き出さないままに、患者の訴えや表面に現れた症状のみで診断が下される場合が多い。私自身、医師の思いこみからの誤った診断のため、あやうく命を落としかけたという経験があり、、医師にはしっかりした診断力を持っていてもらいたいと願っている。その意味からも、たとえ物語上の患者であってもきちんと診断しようという津村氏の“診断意欲”を素晴らしいと思うのである。世の医師たち、医学生たちにも、ぜひこの“診断意欲”を持ってもらいたいと思う。

 津村氏の診断に対する意欲は、診断行動の積み重ねから生まれたものだと推測される。脳科学的には、ある行動に対する意欲というものは、その行動をすることによって強まると考えられている。失敗であれ、成功であれ、行動することが鍵になる。失敗をすればその失敗を修正したいという欲求が起こり、成功すればその快感によりもっとやりたいという意欲が生まれるからである。
 この診断意欲の上に、診断能力が築かれる。その能力をみがく上でも、失敗を修正するという行動が大きな意味を持つ。診断能力を高めるための最も効果的な手段となる。自分の診断に何が不足していたかを最もはっきり知ることができ、その改善の方向をつかむことができる経験だからである。
 
 次は、診断行動の積み上げ方について考えてみたい。