2008/08/08

23 いじめについて

●百人百様の意見
 いじめ行動がなぜ起こるのか。
 勉強や受験のストレスだという主張がある。勉強についていけないから面白くない。その憂さ晴らしにやるという意見もある。だから、もっと学習指導に力を入れればよい、と言う。充実感がない、集中できるものがない、その心の空白を埋めるためにいじめる、という主張もある。協力して何かに向かうことがないからだという人もいる。だから、部活動などに力を入れ指導せよ、などと言う。
 人の心を考える経験がないからだという意見もある。だから、福祉施設などでボランティア活動をさせよと言う。家庭教育がなっていないから、愛情を持って育てられていないからいじめる、いじめられたとき親に相談できないのだ、などという主張もある。また、いじめは本能だとする説もある。この説を採るものは、「いじめはあるものだ」という前提に立っていじめへの対応をしなくてはならないとする。
 百人いれば百様の意見が出てきて、対応策はなかなかまとまらない。確かに、いじめ行動が生まれる状況はさまざまである。しかし、脳の働き方という視点からいじめ行動をとらえてみると、視界が開けるように思う。いじめ行動が生まれるメカニズムには、共通した脳の働き方を見ることができる。そこから、いじめ行動を起こさない子どもたちの育て方を考える大きな鍵となるように思う。

●「いじめ行動」が生まれるメカニズム
 いじめ行動は、人間の快・不快という感情と関係して生まれる。人間の脳は、行動のまとまりとしての「いじめ」を本能としてもっているわけではない。しかし、自分にとって快である(心地よい)方向に向かって活動し、不快な(心地よくない)ものは避けるという働き方を持つ。この快・不快を感じる脳の働きが、いじめ行動を生み出すもとになっているのである。
 いじめを生み出す状況にさまざまな違いはあっても、そこに共通するのは対象に対する「ウザイ」「キモイ」という言葉で表現される「不快感」である。その不快感は、必ずしもいじめの対象が原因していない「受験や成績からのストレス」「仲間はずれという不快感から逃げる感情」もからんでいることが多いが、ともかくそれらの不快な感情を解消するために、脳は行動を起こすのである。そして「相手をいじめることによって得る快感」「仲間である安心感」を得るのである。
 快・不快を感じ、快の方向に向かって行動しようとさせるのは、生命の維持機能を担当する脳幹に属する扁桃体の働きによるもので、心地よいものが自分にとって安全であるとする「生命を守るための本能的な働き」である。例えば、人間は生まれたばかりのときは甘いものしかおいしいと感じない。赤ん坊にとっては甘い母乳が一番安全。「甘い=安全」であるから、「甘い」をおいしい「=快」と感じるようになっている。苦いもの辛いものは危険なものである可能性があるので、不快と感じる。だから、赤ん坊に甘いもの以外の味の物を与えても危険なものとして舌で押し出してしまう。
 つまり、自分にとって快でないもの(不快なもの)を排除するという行動は脳の最も基本的な活動なのである。自分の力を示すことで快となる行動、また不快なことを避けたり紛らわしたりするための表現である「いじめ行動」は、脳の本能的な働きを土台とした行動だということである。「いじめはどこにでも発生する」「いつの時代でもある」理由はそこにある。

● 行動のしかたで脳の働き方が育つ
 いじめは脳の本能的な働き方から起こる。しかし、現実には多くのいじめをしない人間がいる。人間の脳の働き方は、本能だけで決まるものでなく「育つ=変化する」ものだからである。人間の行動は、「快」「不快」という人間の本能的感覚に左右されるが、その人間にとって、何が「快」で何が「不快」であるかは、経験により変化していくのである。前述の味覚の例で言うと、大人は塩味も辛みも苦みも「うまいもの」として味わうことができる。成長の過程で、心地よい環境のもと信頼できるものから与えられていくうちに、脳の中に辛いもの、苦いものもだんだん美味しい(快)と感じる味覚の回路ができていくからである。
 脳が作り上げるのはもちろん味覚ばかりでない。経験したときの記憶を蓄積して、さまざまな行動と感情のネットワーク回路をつくりあげていく。先生にほめられたのがきっかけで絵を描くのが好きになったり、人前で失敗して以来話すのが苦手になったり、誰しもそれを実感する経験をもっているだろう。つまり人間は、行動の経験のしかたの積み重ね方によって、同じことを「快」と感じるようになったり「不快」と感じるようになったりする。行動をした状況や、その結果によって変わってくるのである。いじめ行動をおこすかどうかは、育て方(=行動の経験のさせかた)が大いに関わってくるということである。
 したがって、いじめ行動の対策は、脳の本能的働きかたと、行動経験からつくられる脳のネットワーク回路、その両面の視点を持って考えていく必要がある。

●「助け合うことの快」を体験させる
 
どうしたらいじめをやめさせることができるか。
 いじめをしている子どもたちの脳は、いじめをすることで「快」の状態になる。脳は、同じ行動を積み重ね、同じ回路を何回も使うほど、その回路の働きは強固になっていく。従って、いじめを封じるには、まずこの回路を使わない状態にしなくてはならない。しかし、ただ使わないというだけでは「いじめない脳」はできていかない。回路は休んでいるだけで、環境が整えばその回路は再び働くからである。
 「いじめない脳」にするということは、「いじめ」で快になる状態を、「いじめない」がより快であるようにするということである。脳には快と思う方向に働く自己保存の原則があるからである。脳の働き方から考えると、「いじめない」が快になるには、お説教を聞かせたり「いじめはいけない」というメッセージを読ませたりという受動的な行動より、「いじめないことにより、快を感じる行動経験」をさせる、それを積み重ねるということの方がはるかに効果的である。脳のネットワーク回路は、脳を複雑に活発に活動させるほど、そして感情が絡むほどしっかりできていくからである。
 「いじめない」というのは、具体的には助けるという行動、励ます、手伝うという行動だ。その行動の結果、またはその行動のプロセスが「快」をもたらすような、そういう行動の場を作って、その行動を経験させるということが必要なのである。
 もちろん、それはそう簡単なことではない。みんながやる気になるテーマ選び、そしてグループとして成立させるための手助けが必要となる。グループを作ればすぐ仲間になれる、グループワークができるというわけではないからだ。相手に伝わるように意見を言うこと、相手の言い分を聞くこと、意見をまとめること、仕事の分担、リーダーシップのとり方、協力のしかた、それらを育てるための、グループの状況に応じた適切な指導が鍵となる。