2009/09/09

32 失敗2題

「失敗」のとらえかた

 日本人は、失敗を「挫折」と考えてしまいがちだが、失敗こそ「成功の道につながるプロセス」である。
 なぜ失敗をしたかを分析すれば、成功につながる視点が見えてくる。
 育てるべきは、失敗を分析する姿勢と、分析する視点である。
 何かを考えついてやってみる。うまくいかなかった。
 それを失敗と見るのではなく、だめな方法が明らかになったと見る。
 考える方向が少し狭まったと見る。
 そういう思考の仕方が大事である。


失敗の検証 

 失敗を生み出した人間行動の分析をしなければ、失敗の克服にはつながらない。
 「不注意」「知識がなかった」「経験が不足していた」というような分析では、失敗の克服にはつながらない。それでは、ほとんどの失敗の原因は、同じになってしまうだろう。 
 なぜ「その不注意」が生まれたのか。不注意を生む出す条件はなかったか。「経験」が生み出すどんな能力が不足していたのか、それを分析しなければならない。

 どのような観察・判断が不足していたか。
 どのような技術行動が不足していたか。
 当事者の勤務条件はどうだったのか。
 見極めを難しくする場の条件はなかったか。
 行動を確認する習慣,システムは不十分ではなかったか。
 
 言葉で知っているだけでは、行動できない。
 「気をつけよう」「失敗しないようにしよう」と思っただけでは、できるようにはならない。
 脳は、行動しただけのことができるようになるのである。
 失敗を克服するための行動のあり方を明らかにして、行動感覚となるまでの行動力として育てる方策を生み出さなければならない。

2009/09/04

31 集中と繰り返し

生卵が割れるようになるのは、平均11歳

 ある教育研究所の調査結果では、生卵を割れるようになるのは平均年齢11歳であるという。11歳といえば、5年生か6年生である。小学校の教師修学旅行の説明会で、保護者から「割れないので朝ご飯に生卵は出さないでほしい」という要望が出ることは珍しくないという。
 『噂の東京マガジン』というTV番組に、街中に出て、このぐらいはできてほしいなと思うことを周囲の人にやってもらうという「やってトライ」というコーナーがあるが、ここで卵割が取り上げられたことがある。トライした50人の子どもたちのうち、ちゃんと割れた子は21人、約4割だった。
 生卵を割るというような簡単なことが、どうしてそんなに大きくなるまでできないのかと思われるかもしれないが、これが意外にも多く、先日も、高校生になっても卵割りができなかったという女性のブログを読んだ。「割れても『ぐしゃっ』という割れ方で、手が卵まみれになり、手元にふきんがないと割れないような状態だった」と彼女は書いていた。

卵割りは1日でできる

 生卵を割るという行動は、卵を茶碗のふちなどのような硬いものに軽くあてて殻にひびを入らせ、ひびのところで殻を両側に開き中身を出す、という単純な行動である。我が家の子どもたちは、娘は4歳、息子は6歳で割れるようになった。それも1日で。5年生6年生でもできない子もいるのに、どうして1日で、と思うかもしれないが、1日だからできるのである。
 「なのに」ではなく「だから」である。卵割りは、集中して5個ぐらい続けて割れば、たいていの子どもができるようになる。多くてもせいぜい10個である。

練習のプロセス

 まず、できる人が卵割を1,2回ゆっくりやって見せ、卵割り行動を構成している要素をつかませる。硬いふちのようなものでたたき殻にひびを入れること、ひびのところを両側に広げること、そしてそれぞれのときの手の使い方などである。
練習をさせるときは、それぞれの行動の感覚をつかませることを心がける。

 ・ひびを入らせるときの強すぎず弱すぎずの力の強さの加減 
 ・たたいた瞬間に止めるような力の入れ方の感覚
 ・十分なひびが入ったときのグシャッという抵抗感の変化の感覚

 無論最初からうまくいくことはあまりない。失敗を修正していくことでできるようになっていくのである。うまく短時間で修正し、成功に近づけるには、失敗した記憶が残っているうちに、修正行動をさせる必要がある。たたく力が弱くひびが入らなかったら「もう少し強くたたいてごらん」、逆に強すぎたら「もう少し弱く」、ひびが入ったときの感じを判断できない子には、割る前の卵を軽くふちに当てさせそのときの抵抗感を感じさせておき、たたいたときその感じが変わることを観察させる。「今のグシャッという感じわかった?」というように。
 成功した場合は、その行動の感覚が記憶に残っているうちに、繰り返させる。確実にできるようになるまで繰り返させる。
 文章で書くと大変な行動のようであるが、前述したように、多くても10個もやってみればできるようになる。いくら割ってもいいよ、と20個ぐらい用意して気を楽にさせてやれば、効果も上がる。

1週間に1個では、割れるようにならない

 生卵が割れない子どもたちは、卵割りをする機会はどれほどあったのか。ご飯に生卵をかけて食べるときだけ、それも自分の分だけというようなことではなかったか。
 卵かけご飯を毎日食べる場合でも、1日1個である。小さな子どもが、自分の失敗行動の問題点を自覚していて、翌日にその行動を修正するというようなことは、なかなか難しい。1週間に1個、1ヶ月に1個ではなおさらである。5年たっても、卵割りはできるようになるとは言えない。
 
集中と繰り返し ― 技術を早く確実に身につけるためのポイント

 この話、何も生卵に限ったことではない。どんな行動,技術の習得についても言えることである。
 人間の脳は学習型の脳である。行動したときに働いた神経回路の興奮が残る。それが行動の記憶であり、それを蓄積していくことで様々なことができていくようになっている。脳は、成功行動だけ区別して記憶してくれるわけではない。初めての行動のときは、たいていは行動がうまくいかないので、回路にその記憶が残る。その失敗回路の記憶を材料として行動を修正していくことで、できるようになっていくのである。
 うまく短時間で失敗を修正し、成功に近づけるには、失敗した記憶が残っているうちに、修正行動をさせる必要がある。そのことを忘れたころにやったのでは、意味がない。つまり、練習は集中して行う必要があるということである。
 また、記憶回路は何度も引き出すことで確実になる。その回路を何回も働かせるほど、その回路への信号はスムーズになり、記憶が強固になっていく。だから、行動が成功したら、その記憶(行動感覚)が残っているうちに、何度もその行動を繰り返し練習し、成功回路を強固な確実なものとしておく必要がある。繰り返し練習の意味はそこにある。

30 冷静に対応する

「冷静に」「落ち着いて」と言われても・・・

 今年の5,6月、「冷静に」「落ち着いて」の言葉が飛び交った。国内で初めて新型インフルエンザの感染者が確認された5月1日以降、舛添厚労相は連日のように早朝や深夜に緊急記者会見を開き、対応の仕方について語った。「症状があった場合はいきなり病院には行かず、保健所や相談センターに電話するように。落ち着いて対応してほしい」と繰り返した。会見は各局のTVニュースで、何回も放映された。
 横浜市の高校生が直接病院を受診したために感染拡大の危険性が心配された際、長時間電話が通じなかった横浜市に対し、「危機管理の体をなしていない」と厳しく批判した舛添大臣に、中田横浜市長が「国民に落ち着くように呼び掛けているが、大臣自身こそ落ち着いた方がいい」と反撃する一幕もあった。 
 もう一つ、やはり新型インフルエンザ関連。政府が2億8783万円をかけて作った、新型インフルエンザへの対応のしかたについてのテレビCM。麻生首相が「政府や自治体が発表する情報に注意し冷静な対応をお願いします」と呼びかけたもので、5月19日から6月1日まで毎日全国に放送された。
 そしてまた8月、静岡での震度6地震発生に際しての県知事が県民に呼びかけた言葉、これも「落ち着いて」であった。

「冷静に対応する」とはどういうことか

政府が繰り返し要請した新型インフルエンザへの「冷静な対応」に対しては、「『冷静に』と言われてもどうしてよいかわからない。具体的にはどうすることなのか」と、TVの報道番組の司会者が対策の専門家に質問していた。「情報をとって、しっかり準備するということです」と専門家は答えた。しっかり準備してあれば、冷静に対応できるというのだ。
しかし、準備というのは何か。薬やマスクというものの準備だけではないはずだ。情報の取り方も含めて、そうしたときの行動のしかたを身につけておくということであろう。
 「冷静」の反対は「動揺」「あわてる」、それが極端になると「パニック」になる。「あわてる」「パニック」は、どうしたらおこるか。それを解析してみると「あわてない、パニックにならない」つまり「冷静に対応する」という行動のしかたが生み出せる。

対応の仕方を行動力として身につけておくこと

 脳は日々情報を取り、それを分類整理して脳の記憶回路にネットワークをつくって管理している。あわ
てる、パニックになるというのは、それができなくなるということだ。急激に、それまでにない、自分の行動のしかたや生活(時には命)を脅かすような情報が入ると、危険安全への対応をつかさどる扁桃体が働いて脳内にアドレナリンが過剰分泌され、必要ない神経回路まで働いてしまう。脳が混乱し、必要な情報を整理することができなくなるということである。
 それに対し、自分がつぎにとるべき行動が予測できる、そしてその行動が、自分にとっては手馴れたものであること、もしくはそう困難なことではないことだと認識できれば、アドレナリンは過剰に分泌されず、脳の回路は平常どおりに働くことができる。
 ここで大事なのは、この対応のしかたは単なる知識ではないということだ。行動力として身につけておくということだ。危機的状況に関する情報をとる習慣をつけること、その情報を整理していつでも取り出せるようにしておくこと、そしてことが起こった場合の行動のしかたをシミュレーションし、自分のものとしておくところまでやっておけば、言うことはない。

2008/12/03

29 失敗の修正,失敗の克服によって成長する

 「負けが金メダルにつながった。」
レスリングの吉田沙保里選手が、北京オリンピック金メダル獲得後のインタビューに応えた言葉である。
2008年1月のワールドカップ団体戦で、アメリカ選手に負け、連勝記録(119)がストップした。
 タックルを返されて負けたのである。タックルをするときの自分の癖を読まれていた。そこからタックルの修正をしたという。
 「タックルにとびこみ、片足をとった後、横に回りこむようにした。」
 「負けていなければ、自分の弱点に気がつかなかった。」
 失敗を修正することによって、より高度な技術(わざ)を生み出したのである。

 トリノ五輪で金メダルを獲得したフィギュアスケートの荒川静香選手も、失敗を修正した経験が大事であったと語っている。
 「あのつらい時期があったから、今の私がある。 同じようなことがあったら、その時間を大事にしたい。」

 また、女子レスリングの浜口京子選手は、アテネオリンピックで銅メダルをとった後の会見で、次のように語っている。「もっときれいに輝くメダルが欲しかったんですが、私の人生の中で金メダル以上の経験をさせてもらいました」
 その経験とは、敗退から3位決定戦までの短い時間の中で気持ちの切り替えをしたこと。周りも本人も金メダルを確実視してきた、そういう状況下での準決勝敗戦。3位決定戦に勝つために、敗戦による精神的ショックを打ち払い、闘争心を奮い起こした。そういう場におかれて、チャレンジして乗り越えたこと。その経験が、浜口選手をさらにつぎの目標へ向かう姿勢を生み出したのである。

 失敗を失敗のままに終らせておいてはいけない。「いやな思い出」のままに終らせてはいけない。
 失敗したことがいやな思い出になり、そのことを避けるようになってはいけない。立ち直れないような失敗(挫折)をさせてはいけない。
 失敗を克服して、失敗から学んだことが多かった、良かった、自分のためになったという経験をさせなければいけない。失敗したことを克服したい、と思うように育てる。 失敗の克服が、よい思い出(充実感・達成感=快)になるように支援することが、指導する立場の者たちの目標だ。

28 成長する組織の条件 

できることだけやっていたのでは、成長しない

 始めてのことをするときは、たいていは失敗する。
 人間の脳は、失敗を修正することによって、目標の行動を成立させるための神経回路を作り上げていくのである。だいたい、初めての行動を行うときには、その行動を成立するための回路は出来上がっていない。人間の脳は、行動したときに発生した神経回路の興奮を記憶するという形で行動のしかたを蓄積していくものだからである。
 初めての行動をするときは、その行動を成立させるのに近いものを組み合わせて、脳は対処する。それに不足があれば失敗する。行動表現するための身体の各部と神経回路との信号のやりとりが、目標行動が要求するより遅い場合も失敗する。
 人は、何度もやり直してその失敗を修正していく。そうして、だんだん目標の行動を成立させるための回路を作っていくのである。繰り返すことにより信号の伝達スピードも速くなり、やがて目標の行動ができるようになる。
 人間は失敗を修正することによって成長していくのである。できることだけやっていたのでは、能力はそれ以上に伸びない。

失敗を許して、チャンスを与える

組織の力は、一人ひとりの力の総合である。失敗させたら組織にとってマイナスと考え、失敗させないようにしていたのでは、そのものの力は伸びない。一人ひとりの力が伸びていかなければ、組織としての力も伸びていかない。
 つまり、一人ひとりに少し背伸びをさせて、仕事に挑戦させることが大事だということである。そのものの頭をフル回転させて、仕事をさせる。そして、やったこととその結果を自覚させることが、成長させるためのポイントである。
 失敗したら、失敗の原因を分析させる。その対策を考えさせる。そしてもう一度チャンスを与える。それが上に立つもの、指導する立場にあるものの、あるべき行動の姿勢だろう。

そして、もうひとつやること

 それは、部下の失敗のカバー。
 上に立つもの、指導する立場にあるものは、失敗をカバーする力、失敗に対処する力を持っていなければならない。そうした姿勢と力を持った組織でなければ、成長していかない。

27 「なのに」と「だから」 その2

 おとなしい兄ときかん気の弟(あるいはその逆)。 上の子は食べ物の好き嫌いがあるが、下の子にはない(あるいはその逆)。「兄弟なのに」どうしてこう性格が違うのか。よく聞く話であるが、これも「兄弟なのに」ではなく、「兄弟だから」と考えるべきだろう。

 兄弟だということは、一人ずつ育つのとは絶対的に異なる条件がある。兄には年下の弟がおり、弟には年上の兄がいるということである。兄は、弟が生まれるまでは一人で育てられる。親に自分ひとりが世話されるという経験をしているのである。そこに弟が生まれる。親が、自分以外のものの世話をし、愛情をかける。自分と親の関係の中に入り込んできた新しいものとしての「弟」の存在を意識して育つ。また、新しい存在である「弟」に対して働きかけたり、「弟」から自分への働きかけに対応していく中で育っていく。
 
一方、弟の方は、始めから年上の兄がいる状況で、兄の行動を見て育つ。兄が自分に対する行動(世話であったり、攻撃であったり)を受けて育っていくのである。こうした経験がそれぞれの脳を育てていくのである。

 親の接し方も一人目の子と、二人目の子は違う。親として始めての経験であるひとり目の子育て、その経験を踏まえての二人目の子育て。病気になったとき、けがをしたとき、隣の子とケンカをしたとき、始めてのときと、経験を踏んできたときとでは対応が違うのである。
 こう考えると、違うのが当たり前で、同じになるほうが不思議というものである。

 「何回もやっているのに」「初めてなのに」「一番若いのに」「女の子(あるいは男の子)なのに」・・・・・・・・・というように、いままで「○○なのに」と考えてきたことは、実は「○○だから」であるということはかなりあるのではないか。逆に、「××だから」は実は「××なのに」である、ということもあるだろう。
 人の行動をみるとき、先入観で判断せずに、脳にどのような経験をさせてきたかという視点で、その人の行動を成立させてきた背景をとらえてみることが大切だということだ。そうすると、その人を理解するための視界が開けてくる。

26 「なのに」と「だから」

 脳の働きに目をつけて人間の行動をみるようになると、それまでの概念を改めなければならない思うことがしばしば起こる。従来は「○○なのに」と考えてきたことが、そうではなくて、実は「○○だから」だったのだと、まったく逆にとらえなくてはならなかったことに気がつくことがある。

 たとえば、子どもが暗がりを怖がって、一人では行かれないというようなことがある。そんなとき、周りのものは、つぎのような対応をすることが多い。
   Mちゃん、お二階が怖いなんておかしいよ。もう一年生でしょ。
   Kちゃんはまだ3歳なのに、一人で行かれるよ。
   Mちゃんはお兄ちゃんなんだから、一人で行かなくちゃだめじゃないの。
 
 ところがこれは大間違い。実はKちゃんは「まだ3歳だから」暗いところに行かれるのである。怖いもののイメージができていないからである。「怖い」という感情が育っていないのである。ところが小学校一年生のMちゃんには、大人の話を聞いたり、本を読んだり、TV番組を見たりする中で、脳の中に怖いもののイメージが出来上がっている。その脳が働いて、電気のついていない薄暗い2階の部屋と、怖いものとを結びつけるのである。

 つまり1年生のMちゃんは、「怖い」という感情をつくるために十分な経験をしたということである。怖がるということは、その子がそれだけ成長したことを示すものなのである。叱るより、この子の脳にはいろいろな情報が入ってきたな、ととらえるべきなのである。第一、叱っても脳の中のイメージが修正されるわけではないから、無意味である。怖がらないようにさせたいのなら、怖がる必要がないという新しいイメージを脳の中につくるために、どういう経験をさせたらよいかを考えた方がよいということである。