■50年前の授業調査
昭和25年、国立教育研究所が全国小中学校教育課程調査の一環として授業研究を行った。1時間の授業における教師の活動、生徒の活動を克明に観察し記録をとった。教師がどういう教材を提示し、どういう説明をし、黒板には何を書き、どういう質問をしたか。どういう行動を指示したか。生徒は誰々が手を上げて、そのうち何人がどんなことを言ったか。その答えを教師はどういうふうに整理をしたか。また、教師の指示に対して生徒はどういう行動をとり、教師はそれに対してどう指導したか。そのプロセスをずっと分析していって、学習目標の立てかたや授業の展開のしかた等における問題点を明らかにしていく、という研究をしたのである。
そうしたことを3~4年続けて、その中でわかってきたことがあった。全国のどの地域の、どのクラスにおいても、50数人の中で観察記録の表に出てくるのは、いつも10人程、つまり20%の生徒に過ぎないということだった。その10人の生徒は先生といろいろコミュニケーションをして反応がわかるが、あとの40人はわからない。
そこで、今度は残る40人が授業中どうしていたかを聞き取り調査をしたところ、「わかりきったことだから手を上げなかった」という生徒もいないわけではなかったが、そういうのはそう沢山はいない。「先生、何言ってんのかな」と思っているうちにA君が答えてしまった。どういうことだろうと考えているうちに、Bさんが何か言った。「それでいいのかな」と迷っているうちに次へ進んでしまった、というような生徒が相当いる。また、先生が言ったことがわからなくて考えているうちに、そのことが展開してさらに難しくなった。質問したいと思っていたが、そのタイミングを迷っているうちに先生の話はさらに次へ進んでしまったという生徒も少なくない。あれよあれよという間に45分間がすぎてしまった、そういう状態だったというのだ。
つまり、残りの40人、80%の生徒たちには、学習は成立していなかった。授業の45分間は、生徒たちの脳を働かせるための場になっていなかったということである。それから50年経った今、そうした状況はどれほど解決されているのだろうか。
■最近の授業状況
最近、小,中,高の18人の教師による計23授業を見る機会があった。公立が大半であるが、若干私立も含まれている。科目はいずれも理科。いずれも積極的に取り組んでいるという教師たちの授業である。昨今問題になっている子どもたちの理科離れ・理科嫌い解決の道を探るという意味からも、深い関心を持って授業を観察した。
1クラスの人数は22~39人、50年前の4割~6割とかなり少なくなっている。設備や教材も50年前とは大きく変わった。どの教室でもTVモニタや投影画像の見られるスクリーン、コンピュータが設置されており、TV放送、コンピュータを活用したデジタル教材、インターネットが活用できるようになっていた。そうした環境の中で展開された授業はどうであったか。
23授業のうちの4つの個別授業、5つの実験を中心とした授業を別として、14が一斉授業であった。授業展開の仕方は一斉授業の場合、どれも基本的には50年前と変わっていない。一言で言うなら教師主体の授業。教師が教科書や資料の内容を解説し、生徒がそれを聞く。教師がときどき生徒に質問し、理解度を確かめる。内容の区切り区切りで、何かわからないことはないかと生徒から質問を求める、といったふうである。そのうちの6授業は生徒個々になんらかのワークをさせたが、残りの7つの授業はなかった。ワークを行った6つの授業のうち、そのワークの結果を基にして展開されたものは3つであって、あとの3つは授業展開の途中で練習問題的にごく短時間行われたにすぎなかった。また、個々のワークの内容は、展開のための材料とされることが多く、生徒の疑問について個別に指導がなされたのは1授業にすぎなかった。
教師と生徒のコミュニケーションが活発に行われていた授業もあったが、よく調べてみると発言したり質問したりしている生徒の数が多いわけではない。同じ生徒が何回も発言していたり、教師が同じ生徒(確実に反応が返ってくる生徒)を何度も指名したりしているという例が多かった。整理すると、それぞれの授業で反応(内容に即したものに限定)した子どもは、各クラス2~6,7人。割合にすると10~20%。これを見た限りでは、50年後の今日でも、生徒ひとりひとり個別に学習が成立していると言うにはほど遠い状況である。( 私が親として12年の間に授業参観してきた40余の授業でも、この状況はほとんど同じようなものだった。)
■脳を働かせる授業へ
反応数の少なさ以外にも問題があった。一斉授業における生徒たちの主たる学習行動は、教師の話を聞くという受身の行動であるということだ。受身の行動というのは、脳を積極的に働かせない状況を作る。人間の脳は、働かせなくてもよい状態にしておくとすぐ休んでしまう。授業中の居眠りというのはそのひとつの形である。今回観察した中でも、内容が難しくなってきた中学校以上の授業では、何人もの居眠りをしている生徒が見られた。いずれも一斉授業のクラスで、最高は39人中11人であった。
また、教えられた結果を覚えるという行動では、脳を積極的に働かせないばかりか、21世紀を生きる人間としての必要な能力を身につけられない。自分の未来を切り開かなければならない21世紀の人間としての能力は、自分で情報を取り、分析・考察し、発表し提案し、実行できる、そうした力でなければならない。教師の話を聞くというのが中心の授業では、そうした力は育てられない。脳の学習メカニズムは、経験したことを学習するというものだからである。つまり、自分で情報を取り、分析・考察し、発表し提案する、そして実施して修正する、そうした過程を脳に経験させるように授業を設計しなおす必要があるということである。
「結果を教える教育」から「自分の頭で考える学習」に切り替えて、学力のみならず国際競争力も世界のトップに押し上げたフィンランドの学校教育改革が、そのことを証明しているのではないか。
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