2007/08/03

8 長く見る,じっと見る

 NHK総合TVに「課外授業ようこそ先輩」という番組がある。各地の小学校の6年生1クラスに、いろいろな分野で活躍しているその小学校を卒業した先輩が授業をする様子を描くドキュメンタリー番組である。06年4月、その日の先輩はアートディレクターの長友啓典さん。アートディレクターとはひと言で言うなら広告制作の現場監督。伊集院静の小説の挿絵や装丁、各種広告制作で活躍している人である。後輩は大阪市常盤小学校の6年生。
 長友さんの子どもたちへ課題は、長友さんが準備してきた「TOKIWA」のロゴ入り用紙を使ってのポスター制作。常盤小学校と常盤小学校に通っている自分たち、そして常盤小学校がある町、それをアピールするポスターの制作である。この課題の中で、長友さんが子どもたちの心に、表現したいことを沸き上がらさせていくプロセスをカメラが追う。

 長友さんは授業開始後すぐさま子どもたちを通学路に連れ出す。そして、どこか気になるところを1か所選んで10分間見続けるようにと言う。ぼんやり見るのではなくじっと見る。そのうち心に浮かんできたことがあったら、それを文字に書く。絵は描かない。書いていいのは文字だけである。
子どもたちは始め戸惑っている。何を見たらよいのかわからない。どう見たらよいのかわからない。とにかくじっと見ているように言われ、見続ける。しかしそのうち、子どもたちの心にはいろいろな思いがわきあがってくる。見えてくるものがある。

「何を見ているの?」「どうしてここを選んだの?」 長友さんはその様子を観察しながら子どもたちに質問する。
「道路にひびが入っている。古い道なんだなーって思った。」
「この細い道の向うに私の家がある。だから大好きなの。」
「このお店(床屋)ずいぶん長いことあるなあ。くるくる回る三色の看板、古いけどおしゃれな感じ。」
「ここに来るといつもおいしい(パンの)匂いがするんだ」
「緑が多くて静かだから、大好きな道。でも今は、工事中で通れないので悔しい。」
 毎日一瞬で通り過ぎていく場所を、長く見る、じっと見ることで、他との違いを発見し、自分の思いに気づき、以前の経験が引き出され、そして新たな発見をする。教室に戻った子どもたちは、メモをもとにわが通学路をポスターとして描き始める。
「その絵においしい匂いが表現できない?」「通れなくて悔しいという気持ちを表してごらん」長友さんの言葉に刺激され、子どもたちはそれぞれ自分の心にわきあがった思いを表現していく。街角の上空に浮かんだクロワッサン、緑の小道の入口に立てられた「工事中立入禁止」の看板、光輝く町へと続く細い道、画面3分の1もの大きさで鮮やかに描かれた理髪店の3色ポール・・・・・・。 「絵って自分の気持ちを表現するものなんだね。今まで絵はきらいだったけど、好きになった。」しみじみと子どもが感想を述べる。

 じっと見る。同じ「見る」でも、「ちらっと見る」ということと、「長く集中して見る」ということでは、脳にとっての刺激の質が違う。強い刺激とも違う、長い刺激。脳学者の茂木健一郎氏は「脳は忙しいと考えられない」と言う。脳の中のネットワークに信号が伝わりいろいろ活動するには時間が必要なのだそうだ。同じものを長く見るというのは、その刺激を材料として考える時間を十分に脳に与える、ということなのであろう。
 そして、見たことをすぐに絵に描かないで、言葉でメモするということの意味。絵を描くことと、言葉で表現するということとは、脳としての活動のしかたが違う。見たことをすぐ絵に描くと、単なる写生になってしまうことが多い。脳の働きが、目からの情報と手を動かし絵を描く行動を関係づけることに向かうからである。しかし、見たことを言葉でメモをすると、それによって感情やイメージが大きく深く膨らむ。われわれは生活の中で、言葉を使って考えや感情を整理してきているからである。

 長い刺激は思考を深める。しかし「ちらっ」という見方では脳が働かないかというと、そうではない。ちらっと見るという刺激で働く働き方も、脳にはある。また、1ヵ所だけをじっと見ていたのでは見えない、大きな広がりをざっと見ているからこそ見える、比較するから見えるということもある。毎日自転車で行く通勤路。1ヵ所1ヵ所は一瞬で通り過ぎていくが、その積み重ねで見えてくるものがある。雑草の種類と分布、花の開花と温度や日照の関係、道行く中学生高校生の歩き方や服装に見えるそれぞれの学校の指導力・・・、まだまだいくらでもある。

 脳は、刺激の与え方でいろいろな活動のしかたをするということだ。 刺激の与え方と脳の働き方,働かせ方。そういう視点から学習のしかた(させ方)、行動のしかた(させ方)を見直してみるということが必要ではないか。

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