■白洲次郎が師事したケンブリッジ大学の指導教授
白洲次郎(1902-1985)というのは、終戦直後吉田茂の側近としてGHQと渡り合い、「従順ならざる日本人」と言わしめた男である。本来は実業家であるが、イギリス留学時代に親交を得た吉田茂に請われ、終戦連絡中央事務局の参与となり、以後、経済安定本部次長、貿易庁長官、東北電力会長などを歴任した。終戦時期を描いたドラマにはしばしば登場し、NHKの吉田茂が主人公であるドラマ「負けて勝つ」の中にも登場している。
その白洲次郎のイギリスのケンブリッジ大学留学時代のエピソード。「自信がある。間違いはない」と提出した論文を、ケンブリッジの指導教授から「評価に値しない」とつき返される。納得がいかない白洲は教授になぜだめなのかを尋ねる。教授は言った。「君の論文は、私が教えたことを、そのまま繰り返しているだけだ。そういうのを論文とは言わない」そして、次のように続けたという。
「まず(私の考えを)否定せよ。そして、そこから考えよ。」
■東京帝国大学海後宗臣教授
海後宗臣(かいごときおみ)氏は父の恩師である。東大教育学科が学部に昇格したその初代学部長、長らく教育学会長を務めた。教育史家と位置付けられているが、むしろ日本の教育学の基礎を打ち立てた人といった方がふさわしい人である。その海後宗臣教授の助教授時代のエピソード。(昭和10年代)
大変まじめで1回も休まず海後助教授の講義に出席していた父の友人に、あるときたずねた。「○○君、君は大変まじめに私の講義に出ているが、君自身の勉強は進んでいるのかね。」
■或る教授
多分、新聞のコラムで読んだのだと思うが、どこかの大学の名前はわからない或る教授の話。コラムの執筆者が学生の時の、その教授のオリエンテーションから3時間目までの講義での体験である。
オリエンテーションの時に、その教授は、自分の講義の内容の概要と使用するテキストについて説明し、1時間目はテキストの1章をやるので「予習して来るように」と言った。そして1時間目。教授は学生たちに「予習してきましたか?」と聞いた。誰も手をあげない。教授は言った。「では帰ります。次はもう1回1章をやります。予習してきてください。」
2時間目。教授は学生たちに「予習してきましたか?」と聞いた。ほとんどの学生が手を挙げた。「何か質問はありますか?」誰も手をあげなかった。教授は言った。「では帰ります。次は2章をやります。」
3時間目。必死になって2章を勉強した執筆者は、教授に質問した。教授は懇切丁寧に、執筆者の質問に答え、自分の考えるところを話した。そして言った。「ほかに質問は?」質問する者はいなかった。「では帰ります。次回は、3章をやります。予習してきてください。」
3人の教授がその行動で示しているのは、学問とは基本的に研究でなければならないということだ。大学は、他の人の論をただ取り込むための場所ではなく、自分なりの考えを築くところだということだである。教授とはそのための道筋を示したり、アドバイスを与えたり、論を戦わしたりして導くためにいるのであって、知識を伝えるためにいるのではない。学生が、いかに自分自身の頭で考え、自分なりの考えを構築していくような場づくりをするかが、教授の力だということだろう。
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