切抜きを整理していたら、こんな記事を見つけた。2015年9月13日の毎日新聞である。
▽「マッチを使える」小学生は、全体の18.1%で、20年前の58.9%
▽「包丁でリンゴの皮をむくことができる」は10.1%(20年前は36.3%)▽「缶切りで缶詰を開けることができる」は、20.7%(同50.7%)
昔の子どもはできたのに今の子どもは出来ない。生活能力が低下してきている、といったようなものだった。
20年前の授業参観で
娘が4年生のときの授業参観。理科「熱伝導」、1班6人での実験。金属や木を温めて、熱がどう伝わるかを観察する実験。金属板の上のチョコレートがどう溶けるかを観察するなど、なかなか工夫された楽しい授業だった。板を温めるのはアルコールランプとガスバーナー。着火はマッチだった。
ところが、娘の班ではマッチを使えたのは6人中1人でうちの娘だけ。他の5つの班も似たようなもので教師は大わらわで各班を回って指導していた。およそ20年前のことである。我が家は周囲にまだ畑の残る都会の郊外に属する地域、ここではすでに20年前からそんな状況だった。使えないのは使わなくなったから
マッチが使えないのは、マッチが日常生活ではほとんど使われなくなったからだ。線香に火をつけるときぐらいだろう。花火のときだってマッチを使わない。多くの家では“チャッカマン”なるものを用意している。先端の長いライターで、液化ガスと電池を内蔵し、手元のボタンを押せばガスが出て点火するという、安全に火をつける道具である。我が家にはこの着火なるものは備えていなかったので、娘にはマッチを使う機会があった。そのため、マッチで火をつけることが出来たわけである。最近は集合住宅に済む人が多くなり、煙が迷惑ということで各戸での花火遊びはなく、多くの公園でも花火は禁止、マッチとはますます縁がなくなった。
缶切りが使えなくなったのも、缶切りを使う機会が減ったためだと考えられる。最近は缶切りがなくても開けられるようにと、プルトップ式でふたを開けるタイプのものが多くなっている。缶切りというものの存在を知らない若者も増えてきているようだ。
使えないのは使わせないから
使えないもう一つの理由は、使わせないということである。10%しかできないというリンゴの皮むきはそれだ。ピーラーという皮むき器もあるが、これは切り分けられることが出来ない。ナイフは1つで切り分けも皮むきもできる便利な道具である。皮むきの対象となるのは、リンゴだけでなく、梨も柿も、ジャガイモもサツマイモも、一つできれば、その応用でいくつにも広がる。
食事作りは毎日のこと。ナイフは使う機会も対象もたくさんある。それなのに出来ないということは、親が子どもに経験させていないということである。ナイフを持たせては危険だからと、親が剥いて与えているのである。しかし、ここで考えたい。親の役目とは何か。怪我をさせないように育てることなのか、それとも怪我をしないような道具の使い方を工夫する能力を身につけさせることなのかと。
親の役目、親の仕事
子どもは「育てられる」というより、与えられた環境の中で「育っていく」ものなのである。それも経験したことに応じての育ち方をする。人間の「脳―神経系」は、経験したことすべてを脳―神経系の回路に記憶して、それらを関係づけ構造づけて、自分の働き方を作っていく。だから、一人ひとりその経験の違いによって記憶していることできることが違ってくる。
環境の中で様々な観察をし、さまざまな経験をして、脳神経系の中に行動の仕方を蓄積していくのである。試行錯誤し、自分なりに判断し行動する、行動の結果が失敗であれば、その原因を分析して間違いを見つけ修正する。そうした行動経験に応じて、行動の記憶が形成され、行動する力となっていく。すべて準備されて、ただそれを待っていて受け取るだけの経験しかしなければ、そういう行動のしかたが記憶され形成されてしまうのである。
親の役目は子どもを自立させること、一人で生きていく力をつけてやることである。どんな環境を作りどんな行動経験をさせるかを考え、そういう場・機会をつくり、子どもの行動を見守る。それが親の仕事だ。
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