2019/08/29

63 席をゆずるという能力―社会で育てる

 
最後の例は、夜の地下鉄有楽町線でのこと。


◆座席に荷物を置き、間をあけて座る親子


平日の夜9時過ぎ、電車は仕事を終え家に帰ると思われる人々で込み合っていた。
その中で、間をあけて座ってはしゃいでいる2人の子どもの姿が見えた。
大きい方が小学生、小さい方が5才ぐらいだろうか。
ターミナル駅で私に前にいた乗客が降りたのでよく見ると、左端に母親らしい女性が座っており、右隣の2才ぐらいの眠っている子どもを抱え込んでいた。彼女もまた眠っているかのようだった。
座席は、一列大人8人掛け(少しくぼみがあって8人座ってくださいというメッセージが込められた)、真ん中にポールが立っており、両側4人ずつ座るようになっている。
その片側大人4人の席に、大人1人と小さな子どもが3人座っているのである。
当然席には余裕がある。
余裕どころか、確実におとなひとり分のスペースが空いている。
子どもたちは、そこに自分のリュックを置いていた。


◆小さくても1人分?


込み合っている車内で、大人の席に小さな子どもが一人ずつ。
空間があっても詰めずに、荷物を置いているなんていけないこと。
この子たちのためには注意すべき・・・
 
乗換駅が近づいていたので迷ったが、私は荷物をわきに置いていた子どもに言った。
「荷物をおひざの上に置きなさい。そうしたらもう一人座れますよ。」(ごくやさしくである。)
すると、眠っていたと思った母親が顔を上げて叫んだ。
「ここは4人分の席なんです!」

4人で4人分の席に座っているのだから席をゆずる必要はない、
1人分の席には大人子どもに関係なく1人ずつ座る権利があるという意味らしい。とんだ誤解だ。
しかし乗換駅についてドアが開いてしまったので、私は次の一言を言う間もなく電車を降りた。
振り返って車内を見たが、母子が席をゆずった様子はなく、電車は発車した。

座席に間をあけて座ったり荷物を置いたりする人が、残念ながら結構いる。
鉄道会社がある人数を想定して用意している席に、それより少ない人しか座っていないという例をしばしば見かける。
そこで鉄道会社が考えたのが、真ん中の1人分の座席の色を変えたり、座席の間にくぼみをつけるということ。
その席のくぼみは、大人1人が座るスペースを想定してつくられたものだ。
しかし、それが今回の場合、小さくても1人分の席と解釈されてしまったのだ。
座る権利として受け止められ、乗り合わせている他の乗客のことには、全く思いが至っていないということに、愕然とした。


◆社会的マナーは、社会的行動の場で育てる


込んでいる電車やバスでは、席を詰めて座る。
小さな子どもは膝の上にのせて座る。
高齢者や身体の不自由な人には席をゆずる。
こうしたことは、諸外国では社会的マナー(行動センス)となっているところが多い。
小学生以上なら、そのマナーでもって行動させるとも言われる。
大人たちは、そういう状況に出会うと、ちょっと後押しして子どもたちに経験を積ませる。
経験を積むことで、子どもたちは自信を持って行動するようにになっていく。
日本の社会における、そうした社会的マナー(行動センス)を育てる力はどうなのだろう。

その意味で気になったのは、私が注意する前にあの母子に注意した人がいただろうかということ。
日本では今、他人には関わらないというスタンスの人が増えてきたように思う。
その行動を困ったことだと思いつつも、何もしない人が多くなっているように思う。
確かにマナー違反を注意するのには、結構エネルギーが必要である。
今回のように反発が返ってくることもあるので、それに耐える精神力も必要である。

ヨーロッパではマナー違反をした子どもを、よそのおじさんおばさんが注意することがよくあるという。日本でもひと昔前は、悪さをするとよそのおじさんおばさんが叱ってくれたということを聞く。
そういう社会を取り戻したいものだ。


◆おじいさんが教えてくれたこと


私の息子が小学生のころ、こんなことがあった。
山手線に乗っていたとき、ある駅でおじいさんが乗ってきて息子の席の前に立った。
私が促すと息子は席を立って「どうぞ」と言った。
そのおじいさんは「ありがとう。でもすぐ降りるんから」と言って断った。
息子はちょっとがっかりしたようだった。
しかしそのおじいさんは、そこから2つ目の駅で降りる際に、息子に「坊や、ありがとうな」と声をかけて行ってくれたのである。
そのときの息子のちょっと照れたような嬉しそうな顔を忘れることができない。
以後、息子が自分から席をゆずるようになったのは言うまでもない。
おじいさんは、ゆずり合いは気持ちの良いものだということを、息子に教えてくれたのである。


◆席をゆずった若者


思いやりやゆずり合いというものは、「行動として表現できてなんぼ」のものである。
心の中でひそかに思っていたり、「ゆずり合いは大切」と口で言ったり、文章でそのことの意味を立派に書けたり、ということだけでは何の意味もないのである。

学校で道徳の教科書を読んで思いやりについて考えたり話し合うことに意味がないとは言うわけではないが、あまり行動につながるとは思えない。
教科書を中心にした授業には、具体的な行動、具体的な行動対象がないからである。

行動する能力は、行動しなければ身についていかない。
具体の場で、その行動のしかたを見せていく。
体験させて、行動のしかたをつかませていく。
それが必要なのである。

先日読んだ新聞に、悪天候でストップしてしまった特急列車の中で、若者が小さな子ども連れのお母さんに席をゆずったのを見て嬉しかったという投書があった。
電車がストップしてしまったのだから、若者は長時間立つことは覚悟の上で席をゆずったのである。
ゆずられた母子が喜び、母子が喜んだことで若者は喜び、その様子を見ていた人が嬉しく思う。
そこにもし子どもがいたら、その子どももきっとその思いを共有したことだろう。
その場にいた子どもにゆずりあいの心が行動のあり方として伝わり、育っていくに違いない。












 







2019/08/21

62 席をゆずるという能力―育て方

 夫婦2人で山手線に乗ったとき、30代ぐらいの外国の男性2人に席をゆずられたことがある。
 旅行者のようで、2人ともキャスターのついた大きなスーツケースを持っていた。
 2人は、私たちを見るとすぐにニコニコしながら、どうぞというそぶりをした。
 逡巡することもなく、実に自然な態度だった。
 年上の人には席をゆずるというのは、彼らの行動習慣になっているのだ、と感じた。
 私たちはありがたく申し出を受け、礼を言った。

 どうしたら彼らのように、席をゆずるということが、何の抵抗もなくできるようになるのか。


◆経験を積み重ねると行動習慣となる


 それは、その行動を何回も積み重ねるということである。

 たとえば、私たちは朝起きたとき、家族に「おはよう」と言う。
 家族の顔を見て「おはよう」という、それは極めて簡単なことだけれど、これは生まれついて持っている行動能力ではない。

 ごくごく小さいときから、毎朝起きたら親が子供に「おはよう」と声をかけ、「おはよう」と答えさせる。子どもがちゃんといったらほめ、時には自分から言うように促したりする。
 そうして1ヵ月2ヵ月たつうちに、いつの間にか子どもは言われなくてもじぶんから言うようになるのである。行動習慣として脳の回路に位置づくのである。

 席をゆずるという行動も同じである。その行動を積み重ねる。
 ゆずるべき人かどうかを判断する、声をかけ、席を立ってゆずる行動を示す。
 それを積み重ねていくと、抵抗感なくゆずることができるようになるのである。
 そういう人がいれば、席をゆずるということが、脳の行動習慣となるのである。

 家族と一緒に電車に乗るとき、学校行事で電車移動するとき、部活動で電車移動するときなど、「席ゆずり」の行動のチャンスは結構ある。
 そうした時に親や指導者は、子どもに席をゆずる練習をさせることができる。
 (「判断」「声をかける」「席に誘導する」、行動の要素を分けてやってもよい。)


◆遠足の子どもたちと遭遇したときのこと


 少し前のことだが、普通電車の中で、どこかの学校の遠足(校外学習?)らしい一団に遭遇したことがある。30~40人ほどの人数で、1車両の殆んどの座席をしめた子供たちは大はしゃぎ。向かい合った席の向こうとこちらでゲームをしていたり、吊革にぶら下がって遊んだり。何駅かすぎたとき、高齢の方が2人乗ってこられたが、子どもたちは気にも留めない、というより気がつかない。

 私は、近くの子供に「だれかせきをゆずってくれないかな」と声をかけた。
 すると、子どもはびっくりしたようだったが、座っていた子どもに声をかけてすぐに席をゆずってくれた。行動のしかたはなかなか親切で感じがよかった。
 「ちゃんとできるじゃないの」と私は思った。
 あとは、そういう人が自分の近くにのってきたかどうか気づくようになればいい。観察力を育てるということだ。指導者がついていて、気づかせてやればよい。「もう少しだ。」

 実はこのとき、車両の端の方(私のすぐそば)に引率の教師が乗っていたのである。
 遠足や校外学習は、目的地での行動のしかたばかりでなく、移動の間も社会的な行動のしかたを育てる場であるはずなのだが、2人の教師はおしゃべりをしていたのである。
 「気がつきませんで、申し訳ありません」と2人は私に謝ってきた。
 「いいチャンスですから、子どもたちの指導をおねがいします」と私は頼んだ。

 電車に乗ると沿線の学校の運動部や、試合帰りの他校の運動部の一団に乗り合わせることもしばしばある。そうしたとき、下級生が上級生のために席を確保する場面をよく目にする
 しかし、近くに立っているお年寄りに席をゆずるということはめったに見かけないのである。

 疲れているのかもしれないが、上級生は積極的に席をゆずり、下級生に範を示してほしいものだ。いやまず、ゆずるべき人がいないかどうかを後輩に観察させ、席に案内し、それでも空いているようなら自分が座る。それでこそスポーツマンというものではないかと思う。

 指導者には、そういう場を行動のしかたを育てるチャンスとみて、指導するセンスが欲しい。


◆優先席に座わらせて、そして・・・


 「お年寄りや身体の不自由な方、妊婦さんや赤ちゃんを抱っこしている人に席をゆずりましょう」などと、口でいくら言い聞かせても、行動にはなかなかつながらない。
 行動できるようにするには、その行動を成立させている要素を経験させる必要がある。

 具体的な行動の場で、いかに経験を積ませていくか、鵜の目鷹の目で行動のチャンスを探す。
 それが社会に子どもを送り出す親や教師の役目だと思う。

 そういう意味では、優先席は大変都合の良い場所だ。
 優先席というのは、高齢者や障がいのある人、また妊婦さんや身体の具合の悪い人などが優先的に座れる席として、鉄道会社やバス会社が用意した席である。
 だから、当然座るべき人、ゆずられるべき人ががやってくる割合が高い。
 だから、この席に座っていれば、席をゆずる経験を積むチャンスが多くなるし、断る人もあまりいないのでゆずりやすい。

 だから、親や教師は、優先席を遠慮して他の席に座るのではなく、あえてこの席に子どもを座らせてほしい。
 そして、席をゆずる経験をさせてほしい。
 ゆずるべき人かどうかの判断や、ゆずるタイミングや、ゆずるときの声のかけ方、そういったことを経験させてやってほしい。
 最初は少しのアドバイスが必要かもしれない。
 しかしじきに子どもは、一人で行動できるようになる。

 そして、もう少し言うなら、優先席に座るということは、
 「私は席の必要な方にいつでも席をゆずる用意があります」
ということの意思表示であるということを、子どもに教えてやってほしい。
 (それを自覚できていない大人が多いということと共に。)
 







 

 
 


 

2019/08/19

61 席をゆずるという能力

 「席をゆずる」という行動は、能力としてとらえなければならないと思う。
 観光立国としてやっていこうというつもりなら、この能力はぜひ鍛えていかなくてはならないのではないかと思う。
 「席をゆずる」という能力はどういうものなのか、そして、それはどのようにして育つのか、
ということについて私が経験したいくつかの例を材料にして考えてみた。


◆席を替わろうとした2人の若者


 第一の例は、私が西武池袋線各駅停車の優先席の真ん中に座っていたときのこと。
 次の駅で高齢のご夫婦が乗ってきた。ご主人の方は足が悪いようだった。
 私が「どうぞおかけください」と言って立つと、私の両側に座っていた若者2人が、はじかれたように立ち上がった。2人の若者もまた、席をゆずろうとしたのである。

 席が3つも空いたのだが、結局足の悪いご主人だけ出口に近い方の若者の席に座った。
 奥さまは固辞されたので、私ともう一人の若者は席に戻ったのだが、私は若者の気持ちがうれしくて2人に礼を言った。2人は少し戸惑ったような顔をしていた。
 しばらくして急行乗換駅につき、ご夫妻は私に礼を言い、私は若者に礼を言い電車を降りた。

 「若者は高齢者や障がいのある人たちの席をゆずらない」「いたわるという気持ちがない」という批判の声を聞く。しかし、このとき思ったのは、気持ちがないのではなく、それを行動に現わす練習をしてきてないんだな、ということだった。

 席をゆずるという行動は、慣れれば簡単だが、結構いろいろな判断が必要である。
 「席をゆずるべき対象の人が乗ってくるかどうか(もしくは周辺にいるか)」を観察しなければならないし、「どういうタイミングで声をかけるか」「いつ立ち上がるか」「どう誘導するか」などなど。

 そもそも、その人が席をゆずるべき対象であるかどうかも判断することは難しい。「年寄りと思われたくない」という人に声をかけてしまって怒らせたくないというような心配もある。ぐずぐずしていて、その人と自分との間に別の人が何人も乗ってきて声をかけにくくなってしまうというような、状況の変化もある。


◆わかるとできるではなく、できるとわかる


 私自身いまでこそ、そうした人を見かければ席をゆずれるようになったが、若い頃は「どうしようか」と逡巡しているうちに、その人が遠くに移動してしまったり、間に別の人が入って声をかけられなくなったりというなことが何度もあった。

 何回かやっているうちに、だんだんゆずるコツがつかめてきた。それは、思ったらすぐやる、あまり考えずにやるということだ。ゆずるべき人かな?と思ったら、すぐ席を立ち「どうぞ」と声をかけるのだ。断られてもいい、気にしないで「ああそうですか」と席に戻る。

 ゆずってみて、喜んで座ってくれたら、それで良かったんだとわかるし、うまくできなかったり断わられたりしたら、その状況から一つ情報を得ることができる。
 やってみることによって、ゆずるという行動のしかたがわかってくるのである。
 わかってからやるというのでは、いつまでたってもできはしない。


 













2019/05/22

60 イチロー引退会見

 イチローが引退して、約2ヵ月近くになる。
 その引退会見は感動的であった。
 そして、脳の行動の法則にもかなった素晴らしいものだった。

 私は、イチローのコミュニケーションに前から興味を持っていた。
 イチローがまだ日本でプレーをしていた頃、記者たちはイチローへのインタビューに苦労しているようだった。
 スーパープレイをほめると、そっけなくそれを否定するとか、打率トップ時にその話をするとはぐらかされるとか、無視されるとか、つまらぬことを聞くという態度をされる。「地獄だった」と述懐する記者もいたようである。必然的に記事も、愛想のいいゴジラ松井の方が好意的に書かれていたという記憶がある。
 しかし私は、イチローのその物言いに興味を持った。彼の関心は、記者たちが関心を持つ「その場のプレーの良し悪しや成績」ではないものにあると感じ、それは一体なんだろうと思っていた。

 そのイチローが、引退経験では、集まった記者たちに、何と1時間半近くも答えたので驚いた。
 しかも深夜にである。
 イチローは、いったい何を質問され、どう答えたのであろうか。
 心に残った言葉をあげてみる。
 (イチローの言葉は、意味の重複するところは省略、また言葉では表現してはいないが、意味を取るのに必要な事実背景については(  )の中に補足した。)


①子どもたちへのメッセージを求められて


 (こういうシンプルな質問が難しいと言いながら)
 自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つければ、それに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしいと思います。
 それができれば、自分の前に立ちはだかる壁にも向かって行くことができると思うんです。それが見つからないと、壁が出てくるとあきらめてしまうということがあると思うので、いろいろなことにトライして、自分に向くか向かないよりも、自分が好きなものを見つけてほしいなと思います。


②一番印象に残っているシーンについて


 時間がたったら、今日(引退試合での出来事)が一番真っ先に浮かぶのは間違いないと思います。いろいろな記録に立ち向かってきたんですけど、そういうものは大したことではないというか・・・
 今日のような瞬間(試合後、ファンが誰一人として帰らず、イチローコールをし、再び現れたイチローを割れるような歓声で迎えたこと)を体験すると、すごく小さく見えてしまうんです。


③ファンの存在について


 ニューヨークに行った後ぐらいからですかね、人に喜んでもらえることが一番の喜びに変わってきました。ファンの存在なしには、自分のエネルギーは全く生まれてこないと思います。
 え、おかしなこと言ってます、僕? 大丈夫ですか?(会場笑)


④野球が楽しかったのは1994年まで


 1軍2軍行ったり来たり、「そうか、これが正しいのか」と、そういう状態でやっている野球はけっこう楽しかったんですよ。1994年、(オリックスに入って)3年目に仰木監督と出会って1軍レギュラーに使ってもらった。野球が楽しかったのはそのときまで。
 そのあとは、番付が急に上げられてしまい、それ方はずっとしんどかったです。力以上の評価をされるというのは、とても苦しい。やりがいがあって達成感を味わうこと、満足感を味わうことはたくさんありました。じゃあ、楽しいかというと、それとは違うんですよね。


⑤言葉にするということの意味


 (最低でも50歳までは現役と言っていたので)有限不実行の男になってしまったんですけど、その表現をしてこなかったら、ここまでできなかったという思いもあります。言葉にして表現するということは、目標に近づく一つの方法だと思います。


⑥体験しないと生まれない


 アメリカにきて外国人になったことで、人の気持ちをおもんばかったり、人の痛みを想像したり、今までになかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。


⑦苦しんだ体験がささえになる


 孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きなささえになるんだろうと思います。
 だから、つらいこと、しんどいことから、逃げたいというのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気のあるときにしれ(しんどいこと)に立ち向かっていく、そのことはすごく人として重要なことではないかと感じています。
 あ、締まったね、最後。(会場笑)

  ● ● ● ● ●

 一言で言い表すなら、「若者に向けてのメッセージ」であったように思う。
 成功することではなく、目標に向かって一生懸命にやることが大事なのだということ。
 体験するということが大事だということ。相手の立場を体験することで、相手のことを理解できる、相手を思いやることができる。いや、イチローはそんな尊大な言い方はしていなかった。「相手をおもんばかる自分」「想像する自分」が生まれたと言っていた。

 「苦しんだ体験がささえになる」というのもいいことばだ。
 成功した姿も、苦しむ姿も見せてきたイチローだからこそ言える、若者に向けてのすばらしいメッセージだ。苦しくてもイチローはやり続けた。その姿を私たちは見てきた。野球が好きだから続けられたと言っていた。好きであれば、壁に向かって挑戦する力が生まれる。そして、そのことが自分に充実した人生をもたらした。子どもたちへのメッセージに、その思いが込められている。

 「いろんなことにトライして、自分に向くか向かないかより、自分なものを見つけてほしいなと思います。」






















 
 

59 詐欺ハガキが来ました その3

◆“期限2日前”が分かれ目だった


 4月始め、詐欺ハガキにだまされて、2600万円を取られた女性は、「訴訟通知センター」の職員、また弁護士を名乗る男から、「弁済供託金」が必要といわれて、送金してしまった。 

 彼女に、疑問は持ちつつも「もしかして」と思わせ、詐欺グループに電話をさせてしまったのは、期限2日前という記述だった。それが焦りを生み出し、よく見ればおかしなところがいくつもあるハガキの嘘を見抜けなかったようだ。
 この期限2日前というような被害者を焦らす手立て、これは詐欺グループの常套手段であるという。

 しかし、私がこのハガキを詐欺だと確信したのは、まさにその期限2日前という記述にある。

◆訴訟の具体的イメージの有無が、道を分けた


 私には、自分が企業・団体と契約したことや債権譲渡したことがないことを自覚しているということもあったが、仮に契約不履行等の覚えがあったとしても、いきなりこのような通知が期限2日前に来ることなどない、と確信があったからである。

 事件捜査もの、弁護士ものドラマの好きな私には、訴訟―裁判がどのような段取りで行われるものなのかの大よそのイメージがあった。そのイメージと、今回の通知とは合致しなかったので、「このハガキは変」と思えたのである。

 訴訟というのは、当事者同士の紛争を、裁判所という第三者を介し法律に基づいて解決するための手段である。相手の不正を訴えたいものは、まず自分が相手に対して何を問題にしているのかを知らせるところから始まる。いわゆる訴状である。
 ニュース報道でも、違法行為で訴えられたものがインタビューを受けて、「訴状がまだ届いていないのでお答えできない」などという場面を目にすることがある。裁判になるには、まず訴状が届き、相手方の訴えの内容が知らされるのだということがわかる。

 訴えられた側は、訴状が届いたからといって、いきなり裁判になるわけではなく、言い分があれば、そこから話し合いをし、場合によっては相手が訴状を取り下げることもあり、自分に非があると認めれば金を払って、示談にすることもある。
 金が必要なのは、この段階でなのであって、この頃は、TVドラマでもこうした場面がよく描かれている。何も話し合いもせず、すぐさま金のやり取りになるということはないのである。

 仮に、あわてて電話をしてしまっても、こうした認識があれば、いきなり金の話になったら「これは変」と思えるのである。
 詐欺に引っかかるかどうかは、詐欺のネタになっているものごとの具体的イメージがあるかどうかが分かれ道であると言えよう。

◆870人に一人がだまされている

オレオレ詐欺や、この訴訟詐欺(架空請求詐欺という分類に入るらしい)など、いわゆる特殊詐欺被害は毎年増加して、2017年は18,000件を超えた。2009~2018の10年間の合計は12万件。詐欺の対象にならない未成年者を除いた人数で計算すると、約870人に一人が被害にあったことになる。中高年に絞ると、この割合はもっと高くなるはずだ。(被害額の平均は200万円超)
 これは少しだまされすぎではないか。

 多くの日本人は「自分はだまされない」という自信をもっているらしい。集会などでたずねると、ほとんどの人が「だまされないという自信がある」という方に手をあげるという。
 にもかかわらず、このだまされっぷりはどうだ。
 根拠のない自信は捨てて、詐欺に「だまされない力」をみがいた方がいい。


◆詐欺グループは研究熱心


 詐欺グループは、実に研究熱心である。
 最近被害が増加している架空請求詐欺(訴訟詐欺はこの分類に入る)、還付金請求詐欺、仮想通貨詐欺など、いずれも言葉として知ってはいるが、いずれも手続きが役所や、銀行など専門性が高く、普段なじみのないものが多い。近親者を語るオレオレ詐欺にしても、金を要求する理由には、損害賠償や契約不履行など背景に法律が絡んでいるようなものであることが多い。
 言葉としては知っている、聞いている、しかし、その実態や具体的な手続きについてはイメージを持っていない、そうしたものをねらって計画されている。改元詐欺などのように、どんどん新しい要素を取り込んできている。
 この恐るべき敵にどう対抗するのか。

 詐欺グループは、実に熱心に研究している。工夫もしている。
 こちらも「だまされない力」をみがいておかなければ、油断していると、いつ自分が被害者になるかもしれない。


◆だまされない力をみがく


 詐欺にだまされないためには、いくつかのポイントがあるという。

 ・いったん電話を切って、話の内容を家族や信頼できる友人に確かめる。相談する。
  (ハガキだったら、見せて相談するということだろう。)
 ・すぐ金の話になったら、変と思え。
 ・警官や自治体職員が、金のやり取りに絡むことはない。
 ・カード類は絶対に渡してはいけない。暗証番号は教えてはいけない。

 など、詐欺被害に共通する。こうした内容は、TV放送や、警察公報、また地域の有線放送などを通じて伝えられている。にもかかわらず、被害者は一向に減らない。これはどうしたことか。

 それは、ただ言っているだけ読ませているだけだからであり、それをただ聞いているだけ読み流しているだけからである。
 言葉で知っているということと、そのことが行動できるということは、イコールではない。
 言われたから、読んだからといって、できるものではない。
 行動力は、行動することによってのみ身につくものであって、行動しなければ行動できるようにはならないのである。
 
 そこで、提案したいのは「詐欺見破り練習講座」だ。
 詐欺かもしれない電話、ハガキ、メールなど具体的な材料、事例を用意して、それが本当なのかどうかを見極める練習をする。相手の言うなりにならず、まず相手を確認する、内容について調べる、という行動習慣をつくるのが目的である。
 詐欺ではない本物も混ぜておいて、グループで力を合わせて“詐欺”を見破るのである。
 またそうした中で、訴訟、税金の還付、損害賠償、財産分与など、さまざまな手続きの実態もつかんでいく。
 自治体や銀行、警察などが協力して、やれないものだろうか。
 

◆“自分の頭で考え調べる行動習慣”を育てる教育を


 「だまされる」というのは、「相手の言うことをうのみにする」という行動である。
 この行動のしかたには、日本の教育の在り方に責任の一端がある、と私は考えている。
  
 日本の学校では、小学校から高校(もしかすると大学も)まで、算数・数学・技術・音楽などの具体的な活動をする一部の教科を除いてほとんどが、教師が解説・説明したことや、教科書に書いてあることを覚えるという形で勉強し続けてくる。教師の言うことや、教科書に書いてあることに疑いを持つなどということは、まずない。要するに、うのみである。
 開設された言葉を覚え、言葉で答える。試験も言葉なので、言葉が合っていれば、自分で考えられるようにならなくてもそれで済んでしまう。

 詐欺のネタにされている司法や、行政のしくみなどについても、学校で学んできていのであるが、それは、意義とかねらいとかの解説に偏っていて、現実の生活行動に位置づいたものになっていない。しかし、学ぶ側も、自分が具体的にどう活用するかという視点がないので、質問もしないし、それ以上調べることもしてこなかった。わかった気になっているのである。
 詐欺グループにそこのところを突かれているのだ、と言ってもよいのではないか。

 目の前のことに対決し、自分で調べてみる、考えてみる、確実なところから情報を取るという行動習慣をつくること、そしてそういうことができる能力を育てること。それは、先の見えなくなった世の中を切り開いていくための人間を育てるためには、欠かせぬ方向だと言われるが、それは同時にだまされない人間を育てるということにもつながるものだと思う。

 
 






2019/05/21

58 詐欺ハガキが来ました その2

◆1か月後にまた来ました


 前のハガキが来てからほぼ1カ月後の4月23日、「民事訴訟最終通達書」なるものが、また送られてきた。文面は全く同じであるが、訴訟番号がちがっている。
 訴訟取り下げ最終期日は4月25日となっている。前回と同じく2日後。

 訴訟番号がちがうので、前回とはちがう訴訟ということになる。
 同じ相手に、ちがう訴訟についての「最終通達書」を送ってきたというわけである。
 前に送った通達書への反応は調べていないのだろうか。



 訴訟番号以外にちがっているところがもう一つ。電話番号だ。
 犯人は、複数台の固定電話を用意してやっているということがわかる。
 一人ではない。グループでやっているということだろう。
 よく見ると、ハガキの消印は2枚とも板橋。通知センターは霞が関にあるはずなのにね。
 どうやら犯人グループのアジトは、板橋近辺らしい。

 そういえばネット投稿の中に、受け取った詐欺ハガキの消印が板橋だった、というものがあった。
 それは問題じゃないのか。

◆郵便局の責任は?


 その詐欺ハガキは、発信人が私のところに送られたものと同じ「訴訟通知センター」。
 おそらく、同じ詐欺グループが出したものだと思われる。
 私のところに全く同じ文面で2通も来ているぐらいだから、おそらく、同じものが何百枚と出されたことだろう。板橋局では当然気がついているはずだ。

 ネットでは、法務省を始めとして、国民生活センターや警察、市役所やら区役所やらが、この手のハガキは「無視してください」と警告しているし、送られた経験のある人もさまざま情報をあげている。そうした詐欺ハガキを、郵便局が送り出しているということに引っかかる。

 郵便局に苦情を言った人が、「局員はハガキの文面は読まないので」と言われたそうだが、大量に同じ文面で出されたものがあれば、これは何?と思うのが普通ではないのか。裁判所からの訴状は、本人に直接配達ということは、局員なら心得ていて当然のことであるから、すぐに詐欺ハガキと見破ることができるはずである。それは警察その他から、詐欺ハガキとして警告されているものであると。
 
 4月初めに、詐欺ハガキにだまされて、さいたま市の女性が先方に電話をしてしまい、2600万円ものお金を送ってしまった。「通知センター」の職員を名乗る男から「弁済供託金」が必要と言われて、何回かに分けて、指定された住所に送金したという。彼女は、郵便局が詐欺ハガキを配達しなければ、被害者にはならなかったのである。
 「局員はハガキの文面は読まないので」という言い訳で済むことなのだろうか。
 郵便局は、詐欺の片棒を担いでいるということになりはしないか。

 「出されたハガキは配達しなければならない」「文面は読むことはできない」とあくまで言い張るとしても、詐欺ハガキが大量に送り出されて被害を生み出していることは事実なので、郵便局としても警告を出す必要があるだろう。その場合、どのような警告を出すのであろうか。

 「郵便局から『訴訟最終通達書』等の名称でハガキをお送りしておりますが、それは詐欺ですので、くれぐれも記述してある電話に連絡などはなさらないでください」

とでも書くのだろうか。

(次稿は、なぜだまされるのか、について)

 



 




2019/05/16

57 詐欺ハガキが来ました

 振り込め詐欺なるものが横行している。
 TV局では、被害が発生するたびにその手口を紹介し、注意喚起している。地域の有線放送でもよく警告を行っている。それでもだまされる人が次々に出る。
 いったいどうしてだまされるのだろうか。

◆民事訴訟最終通達書


 3月28日、仕事を終えて帰宅すると、家人が「大変なものが来ている」と言う。
 見ると1通のハガキ。「民事訴訟最終通達書」というタイトルがついており、差出人は「訴訟通知センター」となっている。
 私に対して、契約不履行の訴状が出されていて、取り下げの手続きをしないと民事裁判が開始される、ということを通告するものであると書かれている。
 そして、その取り下げ最終期日は、2日後の30日となっていた。

◆身に覚えはないのに・・・


 訴状は、契約もしくは債権譲渡のあった企業から提出されたと書かれているけど、全く身に覚えはない。
 仮にあったとしても、訴訟の内容も知らされず、いきなり最終通達というのは変じゃない?
 そのような通告が、最終期日の2日前に届くなんて、おかしいではないか。
 住所がわかっているなら、その前に連絡があってしかるべき。
 それに、訴訟になるようなことがハガキで通告されるかなあ。
 「個人情報保護のため」と言っておきながら、自分の方ではハガキで送るの?。
 個人情報保護を考えるなら、ふつう、封書だよね。

 (これは最近話題の振り込め詐欺だね。もう少しよく見てみようか。)

 「訴訟通知センター」ってなってるねえ。
 住所は霞が関1丁目1番地3号。それらしい番地ではある。
 でも郵便番号が何か変。最初の3ケタの100は、確かに霞が関だけど、次の8977って何?
 普通の郵便番号じゃないね。
 電話番号もわかりにくくて、役所の番号らしくない。
 念のため、調べてみよう。

◆ネットで調べてみた


 ネットに「訴訟通知センター」というキーワードを入れてみた。
 すると、すぐさま表示されたのは、「民事訴訟管理センターからの架空請求ハガキは無視してください」の文字。国民生活センターのものを筆頭に、いくつも、警告する内容の項目が並んだ。
 まったく同じ名称ではないが、この手の詐欺がたくさんあるらしい。
 ずっと見ていくと、詐欺ハガキ・封書を送りつけてくる事業者一覧という情報があり、そこに「訴訟通知センター」の名があった。(やっぱり・・・)

 そして、この手のハガキ、手紙は、すべてを無視し、記載された番号には絶対電話しないこと、という法務省からのアドバイスもあった。どうしても不安な場合は、法務省の代表番号(03-3580-4111)に電話して、問い合わせてほしいとのことだった。

◆実際の訴状は、どのように送られるのか


 実際に、訴訟を起こされている場合、その知らせはどのようにして来るものなのか。
 それを知っておけば、この手の詐欺には引っかからないはず。
 と考えて、続けて調べてみた。すると・・・

  ●訴状は「特別送達」と記載された裁判所の名前入りの封書で、裁判所から送られる。
  ●郵便局の職員が、直接手渡すのが原則。

 ということだった。民事訴訟の訴状が提出されたことを、法務省(もしくはその関係機関)が通知することはなく、通知が家のポストに投げ込まれることもないのである。
 というわけで、このハガキは、皆様のアドバイスどおり無視して、ほおっておいた。
 ところが、この出来事には、まだ続きがあったのである。

(以下次稿)

 



2019/02/28

56 本当の勉強


 受験シーズンがそろそろ終わる。
  この時期になると、何年か前にコーヒーショップでふと耳にした会話を思い出す。
 私は、待ち合わせの時間までの1時間をつぶすためにそこにいた。 
 しばらくして隣の席に3人連れの客が座った。20代前半ぐらいの若者2人と、17,8歳の少女だった。若者の一人は、その頃はまだ目を引く茶髪のツンツン尖った頭をしていた。3人はあたりを気にする風もなく、親しげに会話を展開していった。私は聞くともなく彼らの話を聞いていた。

 3人はいとこ同士らしかった。少女は、そのコーヒーショップの近くの有名な医大の受験に失敗したようで、その残念会と、来年再び志望校への受験を決めた少女を激励するための会のようであった。

 やがて、W大の大学院に行っているらしい茶髪の若者が、少女に受験勉強のコツをアドバイスし始めた。私が思わず耳をそばだててしまったその中の一言。
 「受験勉強っていうのは本当の勉強じゃないからね。」
 
 それに続けて彼は言った。「でもやりたいことをするためには、通り抜けなくちゃいけないんだよね。だから、できるだけ、おもしろくやらなくちゃね。」それから彼は、英単語の学習をゲーム的にすすめていく方法や、歴史を手っ取り早く頭にたたきこむ方法などを従妹に説明し続けた。
 
 受験勉強というのは、つづめて言えば教科書に書かれたたくさんの知識を覚えるという勉強である。そしてそれは、今の授業の主流である。彼は、そうした勉強は本当の勉強ではないと言っているのである。彼は、大学、大学院での勉強を通じてそのことを確信したのではないか。

 彼と同じような思いを抱きつつ、それを押し殺して勉強している若者は多い。
「何のために勉強するのか。」「この勉強にどういう意味があるのか。」私たち大人には、バラバラになった知識を詰め込ませるのではなく、これは本当の勉強だと実感を持てる学習を、子どもたち若者たちに提供する責任がある。自分の夢に向かって、また世の中の課題に向かって、その実現や解決のために情報を収集したり、分析したり、観察したりする力、仲間と話し合い共同する力、実行する力、今そうした力を身につけているんだと実感できるような学習を提供する責任がある。

   *     *     *
 
 実は、これとほとんど同じ文章を、16年前にJADECの機関紙「能力開発ニュース」に書いた。1月には大学のセンター試験が行なわれその問題が新聞紙上で公開され、つい先日には東大のそれが発表された。私は、毎年そうしたものを見るたびに、茶髪の若者の「本当の勉強じゃない」という言葉を思い出す。そして、まだ同じ状況が続いていること、そしてその状況を変えられないでいる自分を含めた大人たちを情けなく思い、敢えてこの文章をブログに掲載した。

55 テニスは90%がメンタル④ 支えるのは技術

 大坂選手が、ドバイ選手権の初戦(2回戦)で敗退した。
 3-6,3-6のストレート負けだった。ファーストセットを落とすともろいという、大坂選手の特徴が現れた試合だった。
 直前に、メンタル面でのサポートが大きかったサーシャ・バインコーチとの契約を解除したことにより、不安定になったという見方をする人もいるが、私は、その見方については多少疑問を感じている。

ナンバーワンの構成要素を知っていたバインコーチ


 バインコーチについては、試合中に大坂選手が落ち込んでいるところをはげましたり慰めたりしているところがたびたび映像で紹介されているので、メンタル面のサポートが中心であったかのような印象を持たれている。しかし、テニス選手のメンタルは励ましの言葉で左右されるようなものではないのではないか。
 むしろバインコーチは技術面の指導者として優れたサポートをしてきたのではないか、それが大坂選手のメンタルの向上につながったのではないか、と私は考えている。
 「メンタルの向上→技術の向上」ではなく、「技術の向上→メンタルの向上」ということだ。

 バイン氏は、グランドスラム大会で23勝もしているセリーナ・ウィリアムズ選手のフィッティング・パートナーを8年間務めた人だ。ナンバーワン・プレーヤーの技術を構成する要素を知り抜いているとも言える。
 コーチを引き受ける前の大坂選手について、こんなに力があるのになんで60~70位に低迷しているのか疑問だったと、バイン氏は語っている。コーチに就任してバイン氏は、ナンバーワンと比較して大坂選手には何が足りないかを分析したにちがいない。そして大坂選手には、豪速球サーブと強打があるが、それしかないと気づいたのではないか。

 大坂選手は、豪速球サーブを返されラリーに持ち込まれるともろい。無理な態勢から強打し、アウトしたりネットにかけたりする。そうするとやる気を失ってしまう。彼女には、テニスを構成するさまざまな要素が必要だ。特に、プレーをつなぐ技術と粘り強くプレーし続ける精神力。
 そのためには、コートの左右そして前後、端から端まで走り切るフットワーク、そしてどこへ打たれても返す、それも最も相手が嫌がる位置に返す技術、相手のサーブを読みそれに対応してリターンする技術など、そうした一つ一つの要素を積み上げていく練習が必要、とバイン氏は考えたのではなかったか。

 少し前TV番組で紹介された大坂選手の練習風景からは、その一端が伺えた。
 大坂選手もインタビューで、単純で厳しい練習を積んできたことを語っている。

厳しい練習に耐えることでメンタルが向上


 スポーツ選手のメンタルは、練習によって支えられている。さまざまなサーブを返す練習をしてきた、どんなところに落とされても走って返す練習をしてきた、そして相手が取れないところへ返す練習もしてきた、そして自分はその過酷な練習に耐えてきた。そうした練習の積み上げから得た自分の能力への確信が、選手のメンタルを支えるのである。
 バイン氏の指導を受けたことによって、技術が高まり巾が広がる。結果としてメンタルも安定する。驚異的なスピードでランキングが上がっていったのは、そういうことではなかったか。

 バイン氏はまた、選手の打球の特徴をつかみ、それを再現する能力に定評があったという。それがセリーナ選手が彼をフィッティング・パートナーとしていた理由でもあるようだ。つまり、試合前に相手選手の打球、試合の展開のしかたをシミュレーションしてくれるということだろう。相手の攻略のしかたを研究する場を作ってくれるのだ。
 孫子の兵法に「相手を知り、己を知る。百戦危うからず」とあるが、テニスも同じこと。トーナメントで出会う強敵のプレーに対応するためには、バイン氏との練習は大きな意味があったと思われる。

練習し続けることこそが重要


 厳しい練習の積み上げでつくりあげてきた脳―神経系のネットワーク、これは一度できればそのまま保てる、といったものではない。「1日休めば自分にわかり、2日休めば周囲にわかり、3日休めべ観客にわかる」というのは、バレエダンサーが自分への戒めとして使う言葉であるが、テニスプレーヤーでもそれは同じである。自分のパフォーマンスを保つには、練習し続けなくてはならないのである。
 トップになった大坂選手には、多くの選手がそのプレーを研究し挑んでくる。それを退けるには、今まで以上に練習が必要になるだろう。ところが、ドバイ選手権では、力まかせに強打してアウトしたりネットしたりといった、昔の悪い癖が出ていたし、相手の研究もできていない様子が見てとれた。全豪オープン後、バイン氏との契約解除もあり、十分な練習ができていなかったことは明らかだった。

 しかし、大坂選手は一度トップに立った。
 トップに立つには、どれほどの力が必要か、そのためにはどれほどの練習が必要かということを学んだはずである。
 技術をしっかりと分析し、練習をきちんと積み上げていくことの重要性を知ったはずである。
 その路線に乗って、その力をさらに伸ばしていくように指導してくれる、相性の良いコーチ(*)をみつけるとよい。
 しっかり練習を積み上げればメンタルも安定し、大坂選手は再び良いパフォーマンスを見せてくれるにちがいない、私はそう思っている。

 *バイン氏とは、性格が合わなかったのではないかというのが、私の見解。



 





2019/02/11

54 テニスは90%がメンタル③ 大坂選手2019全豪決勝

わずか1分40秒のトイレブレイクで立て直した


 第2セット終了後、大坂選手はトイレブレイクをとり、タオルを頭からかぶり、コートを出て行った。連日40℃超えの中で試合が行われていた全豪オープン、大量の汗をかくので生理現象は起きない。このトイレブレイクは感情のコントロールのためだろうと解説者は語る。
 最大5分間が許されているというトイレブレイク。しかし大坂選手は1分40秒で戻ってきた。その顔は、第2セットまでに見せていた顔とは別人のような無表情な顔だった。

 最終セット、大坂選手はポイントをとっても表情を変えない。プレーぶりは淡々としていた。
 3ゲーム目、相手のエラーでやってきたチャンスをものにして、大坂選手が相手のサービスゲームをブレイク。その後は互いにサービスゲームをキープしあって5-4としたところで、次は大坂選手のサービスゲーム。

 このゲームを取れば優勝・・・ 見ているものでさえ緊張する。
 サーブが決まり、ショットも決まり、3本先にとって再びマッチポイントを迎えた。
 3-0、第2セットで迎えたマッチポイントと同じスコア。第2セットはここから巻き返されたのだ。
 大坂選手のショットがアウトし1本返される。いやな予感・・・
 しかし次の場面、大坂選手の強烈なサーブをクビトバ選手が返し切れず、ボールは大きくアウト。勝利は大坂選手のものになった。 試合時間2時間27分。
 大坂選手はガッツポーズはせず、サーブをしたその位置で、ラケットを杖にしてしゃがみこみ、しばらくうつむいていた。気持ちを静めているようだった。


5歳になった大坂選手


 試合後に大坂選手は、2セット目のマッチポイントをものにできなかった理由について、「勝つ前に勝ってしまったと思ってしまった」と語っている。どう気持ちを切り替えたのかと聞かれて、つぎのように答えた。
 「私は世界で一番強い人と闘っているのだと考えました。」 
 1本1本を積み上げなければ勝てないと思い、一喜一憂せず、目の前の1本に集中することにしたという。その気持ちが、感情を見せない顔は、その強い意志が作り出したものだった。
 再びつかんだマッチポイントについては、「同じ間違いをしてはならないと思い、自分の感情を抑えました」。

 大坂選手は、自身の成長について「一番の改善点はメンタル、成長してきた部分だと思う」と語った。
 そしてメンタルは何歳になったかと聞かれて、「5歳になった」。
 大坂選手、誕生日おめでとう!


メンタル⇔技術・フィジカル


 テニスはメンタルなスポーツである。試合を見ていると、つくづくそう思う。
 しかし、テニスの勝敗が90%メンタルで決まるわけではない。
 「あきらめなければ願いはかなう」なんてことはないのだ。そのことは私自身高校時代テニスをやっていたからよくわかる。(これは何もテニスに限らず、どんなことについても言えることだが)
 いくら集中していても、球を見極める力ができていなければ、サーブのコースを読み取ることもできなければ、それに反応して返球することもできない。脚力が鍛えられていなければ、相手の打球の速さやコースについていけない。返すことに精いっぱいで、がら空きのスペースをつくらされていることにも気がつかない。

 大坂選手がグランドスラム2連勝を果たしたのは、メンタルの成長が大きかったかもしれないが、、決してそれだけではない。体重をコントロールし、フィジカルを鍛え、どんな球も返球できるように訓練をした。
 どのような練習をしているのかの質問に、「とにかく走りました。単純なトレーニングでした。とても大変だったけど、がんばればこのトロフィーが手に入るのではないか、と自分に言い聞かせました」と答えていた。

 相手のどんなプレーにも反応し、対応できるだけの力をつける。その力があっての勝利である。
 「90%はメンタル」というのは、その力を出し切れるかどうか、つまり脳―神経系の反応が最大限働くかどうかが、メンタルにかかっているということだ。
 このメンタルは、脳―神経系の反応力、つまりフィジカルと技術が向上することによって強くなる。「これだけのトレーニングをして、これだけ反応できるようになっているのだから、落ち着いていつもどおりやればできるはず」と、それを信じて行動できるようになる。
 フィジカル・技術の向上があってメンタルが向上し、メンタルが向上してフィジカル・技術が向上する。メンタルとフィジカル・技術は、そのように関係しあって、互いに成長していくということだ。


コントロールすることで、コントールできるようになる


 そして、もう一つ。
 メンタルは、コントロールしようと強く思うことで、コントロールできるということ。
 強くそう思い、気持ちを静めるための行動をすること。深呼吸、間を取る、笑顔をつくるetc.etc. そうすることでコントロールできるようになる。コントロールする行動を積み重ねることで、コントロールできるようになる。そのようにして脳は、自身の脳―神経系のネットワークをコントロールする、その仕方を学習していく。
 そのことを目の当たりにした大坂選手の試合だった。

 
 
 

 





2019/02/08

53 テニスは90%がメンタル② 大坂選手2019全豪の闘い

 さて、大坂選手の話である。
 大坂選手は恵まれた身体から繰り出す男子顔負けの剛球サーブ(200㎞/h、錦織選手より速い)を持ち、フォアハンドからもバックハンドからも強いショットを打つ。トップ30位以内は確実といわれながら、なかなか勝てずランキングが上がっていかなかった。全米オープン前は72位。原因はメンタルにあると言われていた。

 大坂選手は第1セットを先取すると気持ちが乗り勢いがつくき、勝率94%。現在61連勝中で、約2年間負けなし。しかし、第1セットをとられた場合の勝率はなんと20%しかない。64試合中、43試合がストレート負け。逆転勝ちしたのは13回しかない。最初のセットをとられると、諦めが早く、投げやりな試合になってしまうのである。

 全豪の前哨戦ブリスベン国際準決勝はまさにその典型。ノーシードで上がってきたツレンコ選手に6-2、6-4のストレートで敗北。第1セットをとられて「ふてくされてしまった」と大坂選手は語っている。
 そのわずか12日後の1月17日、大坂選手の全豪オープンでの試合が始まったのである。

2019全豪オープン3,4回戦


 しかし、今年の全豪オープンでは、大坂選手は3回戦4回戦ともに第1セットをとられてから逆転。これまでにない粘りを見せた。

 3回戦の相手はダブルスの名手、台湾の謝淑薇選手(27位)。彼女の多彩なショットに苦しみ第1セットを失う。さらに2セット目はゲームカウント1-4まで追い込まれた。見ていた誰もが、もうだめかと思ったことだろう。
 しかしその後、謝選手のショットに対して返球を工夫しながら粘り、6-4と巻き返し、このセットを取り返してタイとした。そして最終セット、持ち前の力を発揮して6-1。合計1時間57分で勝利をつかんだ。

 4回戦はラトビアのセバストワ選手(12位)。強打を打ち込んでも、球の速度を利用され逆にカウンターを食らった。緩急をつけられて走らせられた。
 「誰ともちがうプレー。本当にやりにくかった。」 第1セットをとられ、第2セットも2-4と追い込まれ、次は相手のサービスゲーム。3本先行され、あと1本とられればこのゲームを失い2-5となってしまう。これまでなら焦るところだ
 しかし、このとき大坂選手は「まだ、1度サービスゲームを落としただけ」と自分に言い聞かせたという。「これ以上ゲームは与えちゃいけない」と、1本ずつ着実に挽回してピンチを乗り切った。
 すると、もう一息で勝つところだった相手が逆にくずれ、試合の流れが変わった。それから一気に大坂選手が7ゲームを連取、4回戦を突破した。

 長かった3セットを乗り切ったとき、大坂選手は天を仰ぎ、それからサポートチームの方を見て微笑んだ。
 「以前なら、もうあきらめた試合だった」「自分の弱さを乗り越えたことが一番うれしかった」と、大坂選手は試合後このときの心境について語っている。「前哨戦で学んで、私は変わったんだというのを見せたかった。」

 大坂選手は、自分の欠点がメンタルにあることを自覚、全豪前、自らを「3歳児のメンタル」と評価していた。そしてそれを克服しようとしていたのである。3回戦終了後のインタビューで、「少し成長して4歳になった。私の誕生日、おめでとう」とユーモラスに語った。そしてこの4回戦である。その成長は本物であることを証明した。

 

決勝、相手の最大の武器を攻略し第1セット先取


 準々決勝はストレート勝ち、準決勝は第1セット先取のフルセット勝ち、そして決勝へ。
 決勝の相手はチェコのクビトバ選手(7位)。大坂選手に劣らぬ剛球サーブの持ち主で、左利き
 左利きの選手の打球は、右利きとは反対の方向に切れていくので、打ちにくいのだという。左利きの選手は少なく、大坂選手は左利き選手とは一度も闘ったことがないというので、心配しながら見ていた。

 第1セットは、互いにサーブがよく決まって6ゲームずつ取り、タイブレークに突入した。
 タイブレークでは。サーブを1本ずつ交代で打つ。
 大坂選手は、それまでアドバンテージ・サイドにおけるクビドバ選手のスライスサーブが返せていなかった。
 このサーブは、クビトバ選手の最大の武器となっているもので、打球が左側、コートの外へ大きくそれていくのでなかなか返すことができず、返せても、コースの外へ振られてしまうので、コート内ががら空きになり、そこにクビトバ選手が難なく打ち込むことができるのである。
  しかし、タイブレークに入ってからのクビトバの1本目のこのサーブ、これを大坂選手はバックハンドで、ラインぎりぎりにリターンエースを決めたのである。

 最大の武器であったサーブを返され、しかもそれが相手のエース(ノータッチで決めること)となったのだ。クビトバ選手にはショックだったに違いない。その後のクビトバ選手の打球には勢いがなくなったように見えた。そして、大坂選手は7-2でこのゲームを取り、第1セットを先取した。


第2セット、チャンスが一転して


 続く第2セット、尾坂選手は出だしにつまづいた感はあったが、その後は順調にゲームを取り5-3とし、サービスゲームで迎えた9ゲーム目。3ポイント先取で迎えたマッチポイント。もうあと1ポイントのところだったが、開き直ったようなクビトバのプレーが次々と決まり、何とこのゲームを失ってしまう。
 それからは、大坂選手にとっては悪夢のような4ゲーム。フォアハンド、バックハンドのミスが重なる一方で、クビトバ選手はよいショットを決めていく。最後は、大坂選手がサーブを失敗(ダブルフォールト)してこのセットを失ったのである。まs
 チャンスをものにできなかった大坂選手がプレーを乱し、集中して相手のマッチポイントを退けたクビトバ選手が勢いをつける。ここにも、テニスのメンタル性を見ることができた。

 大坂選手がこのセットを失ったのは、確かにメンタルの乱れだったと思われる。
 しかし、それでも明らかに以前とは違っていた。前だったら、ラケットをたたきつけていただろう。
 ところが、この試合では(この前の試合でもそうだったが)、たたきつけようとしたラケットを下に置き、下を向いてこらえる場面、しゃがみこんでがまんをする場面、大きく深呼吸をする場面、コートを背にしてしばらく間を取る場面、プレーが思い通りにいかなっかたにもかかわらず笑顔を浮かべるなど、大坂選手が感情をコントロールしている場面、しようとしている場面が随所に見られた。
 今までの大坂選手とは違う。大坂選手は自分を変えようとしている。
 クビドバ選手と闘っているのだが、それ以上に自分自身と闘っている。

(つづく)
 









52 テニスは90%がメンタル

 大坂なおみ選手が、1月の全豪オープンで優勝した。グランドスラム2連覇である。
 この全豪オープンでの大阪選手の闘いぶりを見て、松岡修三氏を始めとする多くの人々が、彼女のメンタルの成長がこの勝利をもたらしたと解説していた。

★「テニスは90%がメンタル」


 「テニスは90%がメンタル。」 かつて、TV番組のコメンテータとして出演していた沢松奈生子さんが、錦織選手の試合ぶりについて語ったときの言葉である。
 選手が、自分の持ち味を生かしたプレーができるかどうかは、90%メンタルの在り様にかかっていると言うのだ。元テニスプレーヤーで、世界ランキング自己最高14位まで上った沢松さんの実感である。

★勝敗のカギを握るのは脳


 2014年の全米オープンで、錦織選手は日本選手として初めて決勝まで進んだ。3回戦、4回戦と剛球サーブの相手に対して、4時間超の試合を重ねながら勝ち進み、準決勝では世界ランキング1位のジョコビッチ選手を相手に、厳しいコースを突き、彼にたびたび天を仰がせ、セット数3-1で快勝した。
 しかし残念ながら、決勝では、準決勝までのパワーを感じさせることなく、クロアチアのビッグサーバー(剛球サーブの選手)チリッチにストレート負け。試合後のインタビューで、錦織選手は「今日は僕のテニスができなかった」と語った。

  「今日は、私のテニスができなかった」というのは、テニス選手が試合に敗れたとき、よく使う言葉である。「今日は私の日ではなかった」というような言い方もする。
 自分のテニスをして、つまり自分の実力を発揮しきって勝ったチリッチ選手。
 一方、持ち味を発揮できずに負けた錦織選手。
 その背景に、脳の働き方の妙を見ることができる。

★「快」が脳のネットワークを全開にする


 決勝前、かつてチリッチのコーチであったボブ・ブレット氏が、「チリッチ攻略のカギは?」と聞かれて、次のように答えた。「一番の対策は、サーブをきちんとリターンすること。」
 ビッグサーバーは、自分のサーブが決まると調子を上げるからだという。リターンもよくなり、ネットプレーもどんどん良くなっていくという。「そうなったら、手がつけられなくなる。」
 198cmの長身で強力なサーブを持ちながら、ビッグなタイトルを手にしていなかったチリッチ選手だが、この年の全米オープンでは勢いに乗った感があり、準決勝でもサーブがよく決まり、名選手フェデラーにストレート勝ちを収めた。

 自分の最大の武器「サーブ」が決まると、脳は「快」の状態になる。脳は「快」の状態になると、そのネットワークが活性化するという。つまり、脳―神経系全体がよく反応するようになる。結果として、カンもよく働き身体もよく動くようになるのである。
 しかし逆に、自分の得意とするサーブを返されると、迷いや不安が生まれる。迷いや不安は、脳―神経系のネットワークに狂いを生み出しうまく働かなくなるという。本来持っている力があるのに、それが機能しなくなるのだ。

 錦織は、チリッチのサーブを攻略することができなかった。
 チリッチの脳―神経系の働きを「快」状態にしたまま終わったのである。

★試合の途中で変化するメンタル


 長い試合を一人で闘うテニス(シングルス)は、メンタルの強さが勝敗に大きくかかわってくる。

 6ゲーム×3セットを闘い、2セットを先取した方が勝ちである。1ゲームは、ラリー(ボールの打ち合い)を4本先に制した方が勝ち。つまり、最短(相手がゼロスコア)でも12×4=48回のラリーを行わなければその試合の勝利は手に入らない。
 実際には、フルセットを闘ったり、ゲームがジュース(3対3になったときはさらに2本先取した方が勝ち)になったり、タイブレーク(ゲーム数が6対6になったときは、先に7回のラリーを制した方が勝ち)になれば、ラリーの本数は増える。全豪や全米のようなグランドスラムでは、男子は5セットマッチなので、試合はさらに長丁場になり、3時間以上の闘いになるのはざらである。

 シングルスの場合、その試合の間、選手は一人で闘う。
 1プレイ、1プレイの出来が選手のメンタルに影響してくる。
 自分の得意なサーブが入るか入らないか、相手のサーブを打ち返せるか打ち返せないか、走り回ってようやく相手の取れないコースに打ち込んだボールが決めらるか決められないかで、選手のメンタル(脳―神経系のネットワークの働き方)は変化するのである。

 試合を見ていても、その変化の様子が見て取れる。
 快調に飛ばしていた選手が、ダブルフォールト(サーブを2度続けて失敗し相手のポイントとしてしまうこと)をきっかけにずるずると崩れてしまったり、押されていたのが、相手の決め球を打ち返したあと勢いを回復したり、それはテニスを見ている側にとっては面白さでもあるが、そうしたプレイの出来不出来に影響されるメンタル(脳にとっての快、不快)をいかにコントロールするかは、テニス選手にとって大きな課題となっている。

★錦織選手のメンタル


 錦織選手は、メンタルが強い選手であると評価されている。
 現時点でのフルセットの試合の勝率が76.2%で、歴代1位であるという。
 最後の最後まで、試合に集中する精神力があるということだろう。

 試合に集中するということはどういうことか。
 「試合中は特に何も考えていない。反応しているだけ」と錦織選手は語っている。
 時速200キロを超えるようなサーブや、きわどいコースを突く打球に対してどう返すかを考えている時間はない。それでも相手の意表をつくコースやショットを生み出すことができるというのは、球のスピードやコースを見極める行動、相手の位置をとらえが取れないコース・スペースを見極める行動、そしてどの位置からでも狙ったコース・スペースにボールを打ち込む行動、それらが反応になっているということだ。

 練習では、厳しいところに出されたボールを、フットワークを効かせて取り、逆に相手にとって厳しいコースに返すことなど、同じことを何度も何度も嫌になるほど練習するという。
 そうすることによって、その行動のしかたが、脳―神経系の反応となるのである。
 この反応力をどこまで鍛えるか、その鍛え方の差が、選手の力の差となるのである。

 そうして得た反応力を、反応力として機能させるのがメンタル、ということだろう。
 行動の結果に一喜一憂せず、目の前の1本に集中する。
 それが試合に集中するということである。

★グランドスラムに勝つということ


 このメンタルの強い錦織選手だが、なかなかグランドスラムで勝てない。
 今年も、準々決勝で途中棄権という結果に終わった。
 
 錦織選手のメンタルの強さを示すフルセットの勝率。
 しかし、同じデータが錦織選手のフルセット試合の多さも物語っているのである。
 たとえば、今年の全豪オープンにおいても、準々決勝に勝ち進むまでの4試合中の3試合がフルセットだった。準々決勝で会いまみえるまでの試合時間の合計は、ジョコビッチ選手は9時間44分、それに対して錦織選手は13時間47分であったという。疲労度では相当に差があったと見なければならない。

 グランドスラムで、準決勝以上に勝ちあがる選手は、それまでの試合時間が10時間以内に収まっているという。錦織自身も、過去準々決勝を突破した3回はいずれも10時間以内に収まっている。1~4回戦は、労せずして勝利を獲得しなければ、それ以上には勝ちあがれないと言ってもよいかも知れない。

 錦織選手の試合にフルセットが多いということは、絶対的な力の差があって勝ったものではないということである。
 むしろメンタルの強さで勝ち上がっているとも言える。
 そこに錦織選手の課題が見える。


(次稿は、大坂選手について)