2019/08/19

61 席をゆずるという能力

 「席をゆずる」という行動は、能力としてとらえなければならないと思う。
 観光立国としてやっていこうというつもりなら、この能力はぜひ鍛えていかなくてはならないのではないかと思う。
 「席をゆずる」という能力はどういうものなのか、そして、それはどのようにして育つのか、
ということについて私が経験したいくつかの例を材料にして考えてみた。


◆席を替わろうとした2人の若者


 第一の例は、私が西武池袋線各駅停車の優先席の真ん中に座っていたときのこと。
 次の駅で高齢のご夫婦が乗ってきた。ご主人の方は足が悪いようだった。
 私が「どうぞおかけください」と言って立つと、私の両側に座っていた若者2人が、はじかれたように立ち上がった。2人の若者もまた、席をゆずろうとしたのである。

 席が3つも空いたのだが、結局足の悪いご主人だけ出口に近い方の若者の席に座った。
 奥さまは固辞されたので、私ともう一人の若者は席に戻ったのだが、私は若者の気持ちがうれしくて2人に礼を言った。2人は少し戸惑ったような顔をしていた。
 しばらくして急行乗換駅につき、ご夫妻は私に礼を言い、私は若者に礼を言い電車を降りた。

 「若者は高齢者や障がいのある人たちの席をゆずらない」「いたわるという気持ちがない」という批判の声を聞く。しかし、このとき思ったのは、気持ちがないのではなく、それを行動に現わす練習をしてきてないんだな、ということだった。

 席をゆずるという行動は、慣れれば簡単だが、結構いろいろな判断が必要である。
 「席をゆずるべき対象の人が乗ってくるかどうか(もしくは周辺にいるか)」を観察しなければならないし、「どういうタイミングで声をかけるか」「いつ立ち上がるか」「どう誘導するか」などなど。

 そもそも、その人が席をゆずるべき対象であるかどうかも判断することは難しい。「年寄りと思われたくない」という人に声をかけてしまって怒らせたくないというような心配もある。ぐずぐずしていて、その人と自分との間に別の人が何人も乗ってきて声をかけにくくなってしまうというような、状況の変化もある。


◆わかるとできるではなく、できるとわかる


 私自身いまでこそ、そうした人を見かければ席をゆずれるようになったが、若い頃は「どうしようか」と逡巡しているうちに、その人が遠くに移動してしまったり、間に別の人が入って声をかけられなくなったりというなことが何度もあった。

 何回かやっているうちに、だんだんゆずるコツがつかめてきた。それは、思ったらすぐやる、あまり考えずにやるということだ。ゆずるべき人かな?と思ったら、すぐ席を立ち「どうぞ」と声をかけるのだ。断られてもいい、気にしないで「ああそうですか」と席に戻る。

 ゆずってみて、喜んで座ってくれたら、それで良かったんだとわかるし、うまくできなかったり断わられたりしたら、その状況から一つ情報を得ることができる。
 やってみることによって、ゆずるという行動のしかたがわかってくるのである。
 わかってからやるというのでは、いつまでたってもできはしない。


 













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