2019/02/28

56 本当の勉強


 受験シーズンがそろそろ終わる。
  この時期になると、何年か前にコーヒーショップでふと耳にした会話を思い出す。
 私は、待ち合わせの時間までの1時間をつぶすためにそこにいた。 
 しばらくして隣の席に3人連れの客が座った。20代前半ぐらいの若者2人と、17,8歳の少女だった。若者の一人は、その頃はまだ目を引く茶髪のツンツン尖った頭をしていた。3人はあたりを気にする風もなく、親しげに会話を展開していった。私は聞くともなく彼らの話を聞いていた。

 3人はいとこ同士らしかった。少女は、そのコーヒーショップの近くの有名な医大の受験に失敗したようで、その残念会と、来年再び志望校への受験を決めた少女を激励するための会のようであった。

 やがて、W大の大学院に行っているらしい茶髪の若者が、少女に受験勉強のコツをアドバイスし始めた。私が思わず耳をそばだててしまったその中の一言。
 「受験勉強っていうのは本当の勉強じゃないからね。」
 
 それに続けて彼は言った。「でもやりたいことをするためには、通り抜けなくちゃいけないんだよね。だから、できるだけ、おもしろくやらなくちゃね。」それから彼は、英単語の学習をゲーム的にすすめていく方法や、歴史を手っ取り早く頭にたたきこむ方法などを従妹に説明し続けた。
 
 受験勉強というのは、つづめて言えば教科書に書かれたたくさんの知識を覚えるという勉強である。そしてそれは、今の授業の主流である。彼は、そうした勉強は本当の勉強ではないと言っているのである。彼は、大学、大学院での勉強を通じてそのことを確信したのではないか。

 彼と同じような思いを抱きつつ、それを押し殺して勉強している若者は多い。
「何のために勉強するのか。」「この勉強にどういう意味があるのか。」私たち大人には、バラバラになった知識を詰め込ませるのではなく、これは本当の勉強だと実感を持てる学習を、子どもたち若者たちに提供する責任がある。自分の夢に向かって、また世の中の課題に向かって、その実現や解決のために情報を収集したり、分析したり、観察したりする力、仲間と話し合い共同する力、実行する力、今そうした力を身につけているんだと実感できるような学習を提供する責任がある。

   *     *     *
 
 実は、これとほとんど同じ文章を、16年前にJADECの機関紙「能力開発ニュース」に書いた。1月には大学のセンター試験が行なわれその問題が新聞紙上で公開され、つい先日には東大のそれが発表された。私は、毎年そうしたものを見るたびに、茶髪の若者の「本当の勉強じゃない」という言葉を思い出す。そして、まだ同じ状況が続いていること、そしてその状況を変えられないでいる自分を含めた大人たちを情けなく思い、敢えてこの文章をブログに掲載した。

55 テニスは90%がメンタル④ 支えるのは技術

 大坂選手が、ドバイ選手権の初戦(2回戦)で敗退した。
 3-6,3-6のストレート負けだった。ファーストセットを落とすともろいという、大坂選手の特徴が現れた試合だった。
 直前に、メンタル面でのサポートが大きかったサーシャ・バインコーチとの契約を解除したことにより、不安定になったという見方をする人もいるが、私は、その見方については多少疑問を感じている。

ナンバーワンの構成要素を知っていたバインコーチ


 バインコーチについては、試合中に大坂選手が落ち込んでいるところをはげましたり慰めたりしているところがたびたび映像で紹介されているので、メンタル面のサポートが中心であったかのような印象を持たれている。しかし、テニス選手のメンタルは励ましの言葉で左右されるようなものではないのではないか。
 むしろバインコーチは技術面の指導者として優れたサポートをしてきたのではないか、それが大坂選手のメンタルの向上につながったのではないか、と私は考えている。
 「メンタルの向上→技術の向上」ではなく、「技術の向上→メンタルの向上」ということだ。

 バイン氏は、グランドスラム大会で23勝もしているセリーナ・ウィリアムズ選手のフィッティング・パートナーを8年間務めた人だ。ナンバーワン・プレーヤーの技術を構成する要素を知り抜いているとも言える。
 コーチを引き受ける前の大坂選手について、こんなに力があるのになんで60~70位に低迷しているのか疑問だったと、バイン氏は語っている。コーチに就任してバイン氏は、ナンバーワンと比較して大坂選手には何が足りないかを分析したにちがいない。そして大坂選手には、豪速球サーブと強打があるが、それしかないと気づいたのではないか。

 大坂選手は、豪速球サーブを返されラリーに持ち込まれるともろい。無理な態勢から強打し、アウトしたりネットにかけたりする。そうするとやる気を失ってしまう。彼女には、テニスを構成するさまざまな要素が必要だ。特に、プレーをつなぐ技術と粘り強くプレーし続ける精神力。
 そのためには、コートの左右そして前後、端から端まで走り切るフットワーク、そしてどこへ打たれても返す、それも最も相手が嫌がる位置に返す技術、相手のサーブを読みそれに対応してリターンする技術など、そうした一つ一つの要素を積み上げていく練習が必要、とバイン氏は考えたのではなかったか。

 少し前TV番組で紹介された大坂選手の練習風景からは、その一端が伺えた。
 大坂選手もインタビューで、単純で厳しい練習を積んできたことを語っている。

厳しい練習に耐えることでメンタルが向上


 スポーツ選手のメンタルは、練習によって支えられている。さまざまなサーブを返す練習をしてきた、どんなところに落とされても走って返す練習をしてきた、そして相手が取れないところへ返す練習もしてきた、そして自分はその過酷な練習に耐えてきた。そうした練習の積み上げから得た自分の能力への確信が、選手のメンタルを支えるのである。
 バイン氏の指導を受けたことによって、技術が高まり巾が広がる。結果としてメンタルも安定する。驚異的なスピードでランキングが上がっていったのは、そういうことではなかったか。

 バイン氏はまた、選手の打球の特徴をつかみ、それを再現する能力に定評があったという。それがセリーナ選手が彼をフィッティング・パートナーとしていた理由でもあるようだ。つまり、試合前に相手選手の打球、試合の展開のしかたをシミュレーションしてくれるということだろう。相手の攻略のしかたを研究する場を作ってくれるのだ。
 孫子の兵法に「相手を知り、己を知る。百戦危うからず」とあるが、テニスも同じこと。トーナメントで出会う強敵のプレーに対応するためには、バイン氏との練習は大きな意味があったと思われる。

練習し続けることこそが重要


 厳しい練習の積み上げでつくりあげてきた脳―神経系のネットワーク、これは一度できればそのまま保てる、といったものではない。「1日休めば自分にわかり、2日休めば周囲にわかり、3日休めべ観客にわかる」というのは、バレエダンサーが自分への戒めとして使う言葉であるが、テニスプレーヤーでもそれは同じである。自分のパフォーマンスを保つには、練習し続けなくてはならないのである。
 トップになった大坂選手には、多くの選手がそのプレーを研究し挑んでくる。それを退けるには、今まで以上に練習が必要になるだろう。ところが、ドバイ選手権では、力まかせに強打してアウトしたりネットしたりといった、昔の悪い癖が出ていたし、相手の研究もできていない様子が見てとれた。全豪オープン後、バイン氏との契約解除もあり、十分な練習ができていなかったことは明らかだった。

 しかし、大坂選手は一度トップに立った。
 トップに立つには、どれほどの力が必要か、そのためにはどれほどの練習が必要かということを学んだはずである。
 技術をしっかりと分析し、練習をきちんと積み上げていくことの重要性を知ったはずである。
 その路線に乗って、その力をさらに伸ばしていくように指導してくれる、相性の良いコーチ(*)をみつけるとよい。
 しっかり練習を積み上げればメンタルも安定し、大坂選手は再び良いパフォーマンスを見せてくれるにちがいない、私はそう思っている。

 *バイン氏とは、性格が合わなかったのではないかというのが、私の見解。



 





2019/02/11

54 テニスは90%がメンタル③ 大坂選手2019全豪決勝

わずか1分40秒のトイレブレイクで立て直した


 第2セット終了後、大坂選手はトイレブレイクをとり、タオルを頭からかぶり、コートを出て行った。連日40℃超えの中で試合が行われていた全豪オープン、大量の汗をかくので生理現象は起きない。このトイレブレイクは感情のコントロールのためだろうと解説者は語る。
 最大5分間が許されているというトイレブレイク。しかし大坂選手は1分40秒で戻ってきた。その顔は、第2セットまでに見せていた顔とは別人のような無表情な顔だった。

 最終セット、大坂選手はポイントをとっても表情を変えない。プレーぶりは淡々としていた。
 3ゲーム目、相手のエラーでやってきたチャンスをものにして、大坂選手が相手のサービスゲームをブレイク。その後は互いにサービスゲームをキープしあって5-4としたところで、次は大坂選手のサービスゲーム。

 このゲームを取れば優勝・・・ 見ているものでさえ緊張する。
 サーブが決まり、ショットも決まり、3本先にとって再びマッチポイントを迎えた。
 3-0、第2セットで迎えたマッチポイントと同じスコア。第2セットはここから巻き返されたのだ。
 大坂選手のショットがアウトし1本返される。いやな予感・・・
 しかし次の場面、大坂選手の強烈なサーブをクビトバ選手が返し切れず、ボールは大きくアウト。勝利は大坂選手のものになった。 試合時間2時間27分。
 大坂選手はガッツポーズはせず、サーブをしたその位置で、ラケットを杖にしてしゃがみこみ、しばらくうつむいていた。気持ちを静めているようだった。


5歳になった大坂選手


 試合後に大坂選手は、2セット目のマッチポイントをものにできなかった理由について、「勝つ前に勝ってしまったと思ってしまった」と語っている。どう気持ちを切り替えたのかと聞かれて、つぎのように答えた。
 「私は世界で一番強い人と闘っているのだと考えました。」 
 1本1本を積み上げなければ勝てないと思い、一喜一憂せず、目の前の1本に集中することにしたという。その気持ちが、感情を見せない顔は、その強い意志が作り出したものだった。
 再びつかんだマッチポイントについては、「同じ間違いをしてはならないと思い、自分の感情を抑えました」。

 大坂選手は、自身の成長について「一番の改善点はメンタル、成長してきた部分だと思う」と語った。
 そしてメンタルは何歳になったかと聞かれて、「5歳になった」。
 大坂選手、誕生日おめでとう!


メンタル⇔技術・フィジカル


 テニスはメンタルなスポーツである。試合を見ていると、つくづくそう思う。
 しかし、テニスの勝敗が90%メンタルで決まるわけではない。
 「あきらめなければ願いはかなう」なんてことはないのだ。そのことは私自身高校時代テニスをやっていたからよくわかる。(これは何もテニスに限らず、どんなことについても言えることだが)
 いくら集中していても、球を見極める力ができていなければ、サーブのコースを読み取ることもできなければ、それに反応して返球することもできない。脚力が鍛えられていなければ、相手の打球の速さやコースについていけない。返すことに精いっぱいで、がら空きのスペースをつくらされていることにも気がつかない。

 大坂選手がグランドスラム2連勝を果たしたのは、メンタルの成長が大きかったかもしれないが、、決してそれだけではない。体重をコントロールし、フィジカルを鍛え、どんな球も返球できるように訓練をした。
 どのような練習をしているのかの質問に、「とにかく走りました。単純なトレーニングでした。とても大変だったけど、がんばればこのトロフィーが手に入るのではないか、と自分に言い聞かせました」と答えていた。

 相手のどんなプレーにも反応し、対応できるだけの力をつける。その力があっての勝利である。
 「90%はメンタル」というのは、その力を出し切れるかどうか、つまり脳―神経系の反応が最大限働くかどうかが、メンタルにかかっているということだ。
 このメンタルは、脳―神経系の反応力、つまりフィジカルと技術が向上することによって強くなる。「これだけのトレーニングをして、これだけ反応できるようになっているのだから、落ち着いていつもどおりやればできるはず」と、それを信じて行動できるようになる。
 フィジカル・技術の向上があってメンタルが向上し、メンタルが向上してフィジカル・技術が向上する。メンタルとフィジカル・技術は、そのように関係しあって、互いに成長していくということだ。


コントロールすることで、コントールできるようになる


 そして、もう一つ。
 メンタルは、コントロールしようと強く思うことで、コントロールできるということ。
 強くそう思い、気持ちを静めるための行動をすること。深呼吸、間を取る、笑顔をつくるetc.etc. そうすることでコントロールできるようになる。コントロールする行動を積み重ねることで、コントロールできるようになる。そのようにして脳は、自身の脳―神経系のネットワークをコントロールする、その仕方を学習していく。
 そのことを目の当たりにした大坂選手の試合だった。

 
 
 

 





2019/02/08

53 テニスは90%がメンタル② 大坂選手2019全豪の闘い

 さて、大坂選手の話である。
 大坂選手は恵まれた身体から繰り出す男子顔負けの剛球サーブ(200㎞/h、錦織選手より速い)を持ち、フォアハンドからもバックハンドからも強いショットを打つ。トップ30位以内は確実といわれながら、なかなか勝てずランキングが上がっていかなかった。全米オープン前は72位。原因はメンタルにあると言われていた。

 大坂選手は第1セットを先取すると気持ちが乗り勢いがつくき、勝率94%。現在61連勝中で、約2年間負けなし。しかし、第1セットをとられた場合の勝率はなんと20%しかない。64試合中、43試合がストレート負け。逆転勝ちしたのは13回しかない。最初のセットをとられると、諦めが早く、投げやりな試合になってしまうのである。

 全豪の前哨戦ブリスベン国際準決勝はまさにその典型。ノーシードで上がってきたツレンコ選手に6-2、6-4のストレートで敗北。第1セットをとられて「ふてくされてしまった」と大坂選手は語っている。
 そのわずか12日後の1月17日、大坂選手の全豪オープンでの試合が始まったのである。

2019全豪オープン3,4回戦


 しかし、今年の全豪オープンでは、大坂選手は3回戦4回戦ともに第1セットをとられてから逆転。これまでにない粘りを見せた。

 3回戦の相手はダブルスの名手、台湾の謝淑薇選手(27位)。彼女の多彩なショットに苦しみ第1セットを失う。さらに2セット目はゲームカウント1-4まで追い込まれた。見ていた誰もが、もうだめかと思ったことだろう。
 しかしその後、謝選手のショットに対して返球を工夫しながら粘り、6-4と巻き返し、このセットを取り返してタイとした。そして最終セット、持ち前の力を発揮して6-1。合計1時間57分で勝利をつかんだ。

 4回戦はラトビアのセバストワ選手(12位)。強打を打ち込んでも、球の速度を利用され逆にカウンターを食らった。緩急をつけられて走らせられた。
 「誰ともちがうプレー。本当にやりにくかった。」 第1セットをとられ、第2セットも2-4と追い込まれ、次は相手のサービスゲーム。3本先行され、あと1本とられればこのゲームを失い2-5となってしまう。これまでなら焦るところだ
 しかし、このとき大坂選手は「まだ、1度サービスゲームを落としただけ」と自分に言い聞かせたという。「これ以上ゲームは与えちゃいけない」と、1本ずつ着実に挽回してピンチを乗り切った。
 すると、もう一息で勝つところだった相手が逆にくずれ、試合の流れが変わった。それから一気に大坂選手が7ゲームを連取、4回戦を突破した。

 長かった3セットを乗り切ったとき、大坂選手は天を仰ぎ、それからサポートチームの方を見て微笑んだ。
 「以前なら、もうあきらめた試合だった」「自分の弱さを乗り越えたことが一番うれしかった」と、大坂選手は試合後このときの心境について語っている。「前哨戦で学んで、私は変わったんだというのを見せたかった。」

 大坂選手は、自分の欠点がメンタルにあることを自覚、全豪前、自らを「3歳児のメンタル」と評価していた。そしてそれを克服しようとしていたのである。3回戦終了後のインタビューで、「少し成長して4歳になった。私の誕生日、おめでとう」とユーモラスに語った。そしてこの4回戦である。その成長は本物であることを証明した。

 

決勝、相手の最大の武器を攻略し第1セット先取


 準々決勝はストレート勝ち、準決勝は第1セット先取のフルセット勝ち、そして決勝へ。
 決勝の相手はチェコのクビトバ選手(7位)。大坂選手に劣らぬ剛球サーブの持ち主で、左利き
 左利きの選手の打球は、右利きとは反対の方向に切れていくので、打ちにくいのだという。左利きの選手は少なく、大坂選手は左利き選手とは一度も闘ったことがないというので、心配しながら見ていた。

 第1セットは、互いにサーブがよく決まって6ゲームずつ取り、タイブレークに突入した。
 タイブレークでは。サーブを1本ずつ交代で打つ。
 大坂選手は、それまでアドバンテージ・サイドにおけるクビドバ選手のスライスサーブが返せていなかった。
 このサーブは、クビトバ選手の最大の武器となっているもので、打球が左側、コートの外へ大きくそれていくのでなかなか返すことができず、返せても、コースの外へ振られてしまうので、コート内ががら空きになり、そこにクビトバ選手が難なく打ち込むことができるのである。
  しかし、タイブレークに入ってからのクビトバの1本目のこのサーブ、これを大坂選手はバックハンドで、ラインぎりぎりにリターンエースを決めたのである。

 最大の武器であったサーブを返され、しかもそれが相手のエース(ノータッチで決めること)となったのだ。クビトバ選手にはショックだったに違いない。その後のクビトバ選手の打球には勢いがなくなったように見えた。そして、大坂選手は7-2でこのゲームを取り、第1セットを先取した。


第2セット、チャンスが一転して


 続く第2セット、尾坂選手は出だしにつまづいた感はあったが、その後は順調にゲームを取り5-3とし、サービスゲームで迎えた9ゲーム目。3ポイント先取で迎えたマッチポイント。もうあと1ポイントのところだったが、開き直ったようなクビトバのプレーが次々と決まり、何とこのゲームを失ってしまう。
 それからは、大坂選手にとっては悪夢のような4ゲーム。フォアハンド、バックハンドのミスが重なる一方で、クビトバ選手はよいショットを決めていく。最後は、大坂選手がサーブを失敗(ダブルフォールト)してこのセットを失ったのである。まs
 チャンスをものにできなかった大坂選手がプレーを乱し、集中して相手のマッチポイントを退けたクビトバ選手が勢いをつける。ここにも、テニスのメンタル性を見ることができた。

 大坂選手がこのセットを失ったのは、確かにメンタルの乱れだったと思われる。
 しかし、それでも明らかに以前とは違っていた。前だったら、ラケットをたたきつけていただろう。
 ところが、この試合では(この前の試合でもそうだったが)、たたきつけようとしたラケットを下に置き、下を向いてこらえる場面、しゃがみこんでがまんをする場面、大きく深呼吸をする場面、コートを背にしてしばらく間を取る場面、プレーが思い通りにいかなっかたにもかかわらず笑顔を浮かべるなど、大坂選手が感情をコントロールしている場面、しようとしている場面が随所に見られた。
 今までの大坂選手とは違う。大坂選手は自分を変えようとしている。
 クビドバ選手と闘っているのだが、それ以上に自分自身と闘っている。

(つづく)
 









52 テニスは90%がメンタル

 大坂なおみ選手が、1月の全豪オープンで優勝した。グランドスラム2連覇である。
 この全豪オープンでの大阪選手の闘いぶりを見て、松岡修三氏を始めとする多くの人々が、彼女のメンタルの成長がこの勝利をもたらしたと解説していた。

★「テニスは90%がメンタル」


 「テニスは90%がメンタル。」 かつて、TV番組のコメンテータとして出演していた沢松奈生子さんが、錦織選手の試合ぶりについて語ったときの言葉である。
 選手が、自分の持ち味を生かしたプレーができるかどうかは、90%メンタルの在り様にかかっていると言うのだ。元テニスプレーヤーで、世界ランキング自己最高14位まで上った沢松さんの実感である。

★勝敗のカギを握るのは脳


 2014年の全米オープンで、錦織選手は日本選手として初めて決勝まで進んだ。3回戦、4回戦と剛球サーブの相手に対して、4時間超の試合を重ねながら勝ち進み、準決勝では世界ランキング1位のジョコビッチ選手を相手に、厳しいコースを突き、彼にたびたび天を仰がせ、セット数3-1で快勝した。
 しかし残念ながら、決勝では、準決勝までのパワーを感じさせることなく、クロアチアのビッグサーバー(剛球サーブの選手)チリッチにストレート負け。試合後のインタビューで、錦織選手は「今日は僕のテニスができなかった」と語った。

  「今日は、私のテニスができなかった」というのは、テニス選手が試合に敗れたとき、よく使う言葉である。「今日は私の日ではなかった」というような言い方もする。
 自分のテニスをして、つまり自分の実力を発揮しきって勝ったチリッチ選手。
 一方、持ち味を発揮できずに負けた錦織選手。
 その背景に、脳の働き方の妙を見ることができる。

★「快」が脳のネットワークを全開にする


 決勝前、かつてチリッチのコーチであったボブ・ブレット氏が、「チリッチ攻略のカギは?」と聞かれて、次のように答えた。「一番の対策は、サーブをきちんとリターンすること。」
 ビッグサーバーは、自分のサーブが決まると調子を上げるからだという。リターンもよくなり、ネットプレーもどんどん良くなっていくという。「そうなったら、手がつけられなくなる。」
 198cmの長身で強力なサーブを持ちながら、ビッグなタイトルを手にしていなかったチリッチ選手だが、この年の全米オープンでは勢いに乗った感があり、準決勝でもサーブがよく決まり、名選手フェデラーにストレート勝ちを収めた。

 自分の最大の武器「サーブ」が決まると、脳は「快」の状態になる。脳は「快」の状態になると、そのネットワークが活性化するという。つまり、脳―神経系全体がよく反応するようになる。結果として、カンもよく働き身体もよく動くようになるのである。
 しかし逆に、自分の得意とするサーブを返されると、迷いや不安が生まれる。迷いや不安は、脳―神経系のネットワークに狂いを生み出しうまく働かなくなるという。本来持っている力があるのに、それが機能しなくなるのだ。

 錦織は、チリッチのサーブを攻略することができなかった。
 チリッチの脳―神経系の働きを「快」状態にしたまま終わったのである。

★試合の途中で変化するメンタル


 長い試合を一人で闘うテニス(シングルス)は、メンタルの強さが勝敗に大きくかかわってくる。

 6ゲーム×3セットを闘い、2セットを先取した方が勝ちである。1ゲームは、ラリー(ボールの打ち合い)を4本先に制した方が勝ち。つまり、最短(相手がゼロスコア)でも12×4=48回のラリーを行わなければその試合の勝利は手に入らない。
 実際には、フルセットを闘ったり、ゲームがジュース(3対3になったときはさらに2本先取した方が勝ち)になったり、タイブレーク(ゲーム数が6対6になったときは、先に7回のラリーを制した方が勝ち)になれば、ラリーの本数は増える。全豪や全米のようなグランドスラムでは、男子は5セットマッチなので、試合はさらに長丁場になり、3時間以上の闘いになるのはざらである。

 シングルスの場合、その試合の間、選手は一人で闘う。
 1プレイ、1プレイの出来が選手のメンタルに影響してくる。
 自分の得意なサーブが入るか入らないか、相手のサーブを打ち返せるか打ち返せないか、走り回ってようやく相手の取れないコースに打ち込んだボールが決めらるか決められないかで、選手のメンタル(脳―神経系のネットワークの働き方)は変化するのである。

 試合を見ていても、その変化の様子が見て取れる。
 快調に飛ばしていた選手が、ダブルフォールト(サーブを2度続けて失敗し相手のポイントとしてしまうこと)をきっかけにずるずると崩れてしまったり、押されていたのが、相手の決め球を打ち返したあと勢いを回復したり、それはテニスを見ている側にとっては面白さでもあるが、そうしたプレイの出来不出来に影響されるメンタル(脳にとっての快、不快)をいかにコントロールするかは、テニス選手にとって大きな課題となっている。

★錦織選手のメンタル


 錦織選手は、メンタルが強い選手であると評価されている。
 現時点でのフルセットの試合の勝率が76.2%で、歴代1位であるという。
 最後の最後まで、試合に集中する精神力があるということだろう。

 試合に集中するということはどういうことか。
 「試合中は特に何も考えていない。反応しているだけ」と錦織選手は語っている。
 時速200キロを超えるようなサーブや、きわどいコースを突く打球に対してどう返すかを考えている時間はない。それでも相手の意表をつくコースやショットを生み出すことができるというのは、球のスピードやコースを見極める行動、相手の位置をとらえが取れないコース・スペースを見極める行動、そしてどの位置からでも狙ったコース・スペースにボールを打ち込む行動、それらが反応になっているということだ。

 練習では、厳しいところに出されたボールを、フットワークを効かせて取り、逆に相手にとって厳しいコースに返すことなど、同じことを何度も何度も嫌になるほど練習するという。
 そうすることによって、その行動のしかたが、脳―神経系の反応となるのである。
 この反応力をどこまで鍛えるか、その鍛え方の差が、選手の力の差となるのである。

 そうして得た反応力を、反応力として機能させるのがメンタル、ということだろう。
 行動の結果に一喜一憂せず、目の前の1本に集中する。
 それが試合に集中するということである。

★グランドスラムに勝つということ


 このメンタルの強い錦織選手だが、なかなかグランドスラムで勝てない。
 今年も、準々決勝で途中棄権という結果に終わった。
 
 錦織選手のメンタルの強さを示すフルセットの勝率。
 しかし、同じデータが錦織選手のフルセット試合の多さも物語っているのである。
 たとえば、今年の全豪オープンにおいても、準々決勝に勝ち進むまでの4試合中の3試合がフルセットだった。準々決勝で会いまみえるまでの試合時間の合計は、ジョコビッチ選手は9時間44分、それに対して錦織選手は13時間47分であったという。疲労度では相当に差があったと見なければならない。

 グランドスラムで、準決勝以上に勝ちあがる選手は、それまでの試合時間が10時間以内に収まっているという。錦織自身も、過去準々決勝を突破した3回はいずれも10時間以内に収まっている。1~4回戦は、労せずして勝利を獲得しなければ、それ以上には勝ちあがれないと言ってもよいかも知れない。

 錦織選手の試合にフルセットが多いということは、絶対的な力の差があって勝ったものではないということである。
 むしろメンタルの強さで勝ち上がっているとも言える。
 そこに錦織選手の課題が見える。


(次稿は、大坂選手について)