2019/02/28

56 本当の勉強


 受験シーズンがそろそろ終わる。
  この時期になると、何年か前にコーヒーショップでふと耳にした会話を思い出す。
 私は、待ち合わせの時間までの1時間をつぶすためにそこにいた。 
 しばらくして隣の席に3人連れの客が座った。20代前半ぐらいの若者2人と、17,8歳の少女だった。若者の一人は、その頃はまだ目を引く茶髪のツンツン尖った頭をしていた。3人はあたりを気にする風もなく、親しげに会話を展開していった。私は聞くともなく彼らの話を聞いていた。

 3人はいとこ同士らしかった。少女は、そのコーヒーショップの近くの有名な医大の受験に失敗したようで、その残念会と、来年再び志望校への受験を決めた少女を激励するための会のようであった。

 やがて、W大の大学院に行っているらしい茶髪の若者が、少女に受験勉強のコツをアドバイスし始めた。私が思わず耳をそばだててしまったその中の一言。
 「受験勉強っていうのは本当の勉強じゃないからね。」
 
 それに続けて彼は言った。「でもやりたいことをするためには、通り抜けなくちゃいけないんだよね。だから、できるだけ、おもしろくやらなくちゃね。」それから彼は、英単語の学習をゲーム的にすすめていく方法や、歴史を手っ取り早く頭にたたきこむ方法などを従妹に説明し続けた。
 
 受験勉強というのは、つづめて言えば教科書に書かれたたくさんの知識を覚えるという勉強である。そしてそれは、今の授業の主流である。彼は、そうした勉強は本当の勉強ではないと言っているのである。彼は、大学、大学院での勉強を通じてそのことを確信したのではないか。

 彼と同じような思いを抱きつつ、それを押し殺して勉強している若者は多い。
「何のために勉強するのか。」「この勉強にどういう意味があるのか。」私たち大人には、バラバラになった知識を詰め込ませるのではなく、これは本当の勉強だと実感を持てる学習を、子どもたち若者たちに提供する責任がある。自分の夢に向かって、また世の中の課題に向かって、その実現や解決のために情報を収集したり、分析したり、観察したりする力、仲間と話し合い共同する力、実行する力、今そうした力を身につけているんだと実感できるような学習を提供する責任がある。

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 実は、これとほとんど同じ文章を、16年前にJADECの機関紙「能力開発ニュース」に書いた。1月には大学のセンター試験が行なわれその問題が新聞紙上で公開され、つい先日には東大のそれが発表された。私は、毎年そうしたものを見るたびに、茶髪の若者の「本当の勉強じゃない」という言葉を思い出す。そして、まだ同じ状況が続いていること、そしてその状況を変えられないでいる自分を含めた大人たちを情けなく思い、敢えてこの文章をブログに掲載した。

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