2007/04/27

2 教えない方が、選手はのびる

 落合選手やイチロー選手を指導し、水島新司氏の野球漫画「野球狂の歌」の中に実名で登場するほどの名コーチ、高畠導宏氏(故人)の言葉である。指導しない方がよいという意味ではない。指導にはタイミングが必要だということである。コーチは選手の欠点に気づくとすぐあれこれと注意してしまいがちである。しかし、選手自身がそのことの重大性に気づいていないときや、まだ自分でできると思っているときには、右から左に聞き流されたり、逆に反発されたりしてしまう。だから、一方的にがみがみ言っても効果がないという。効果があるのは、向こうから相談に来たときだという。相手が、聞きたいという姿勢になったときに初めて、こちらの意見が相手に受け取られるということだろう。

 学習は、学習者が主体的に行うときに最も効果をあげる。学習の主体である脳の活動の本質が主体的、自発的であるからである。ただ聞いているだけの受身の学習では、脳は活動を停止させ、ときには全く休んで(眠って)しまうこともある。学習は、基本的には学習者が自分でやるものなのである。指導者が一方的に指導しても、それは相手には吸収されないということである。

 相手がやってくるまで待つ。高畠氏は、それを忍耐というが、ただぼんやりと待っているのではなく、絶えずその選手のことを観察し、今相手には何が必要かということを分析している。そうしておいて、選手の姿勢の変化を「待つ」のである。相手の姿勢を読み取ること、また、相手に学習すべきことを自分の問題として意識させること、そして、そのことを学びたいという姿勢を起こさせること、そのための場作りと働きかけ、それが、目標の知識・技術を指導するテクニックと同じぐらい、いやそれ以上に必要だということである。

 プロ野球界を離れた後、高畠氏は九州の高等学校で社会科の教師になった。氏が講演をした折に高校生たちの目標のない投げやりな心の状態にふれて、この子たちのために自分にできることがあるのではないかと転身したという。高畠氏の出席簿には生徒の名前の横にその生徒の将来の希望が書き込んである。折にふれそのことを話題にし、そして生徒がどう向かっているかを絶えず見守っているのだという。「見守っているよ」というメッセージを出しながら見守る、それがこの人に聞きに行こうという気にさせたのである。

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