2017/04/13

41 葵の上はなぜ死んだのか?

 ネットで調べ物をしていたら、偶然、表題の面白い記事を見つけた。府中病院総合診療センター長の津村圭氏が書いたものである。「教養としての診断学」という副題がついている。
 “葵の上(あおいのうえ)”というのは、源氏物語の主人公“光源氏”の正妻である“葵の上”のことである。夫にはあまり愛されず、やっと設けたはじめての子の出産後まもなく亡くなってしまう不幸な女性である。


★物語上では、葵の上の死因は恋敵の生霊


 源氏物語の書かれたのは平安時代中期(文献上の初出は1008年)、今から1000年ほど前である。一条天皇の中宮である彰子に仕えた紫式部が書いたもので、当時の貴族社会における物の考え方が読み取れる。医療に関連する記述は複数の巻(章)にあり、当時は、当然のことながら現在のように病気の原因を解明し治療する医学的な手段はなく、加持祈祷が中心であったことがわかる。病をもたらすのは神や霊の怒りであると考えられ、高熱などのためにおこるうわごとや意識障害、せん妄(幻を見たりする症状)などを、神の怒りに触れた、あるいは物の怪に取りつかれたせいだと考えたのである。

 葵の上は、夫の想い人、六条御息所の生霊にとりつかれて亡くなったということになっている。津村氏は、この葵の上の本当の死因を現代医学の視点で解析してみようというのだ。
 津村氏は葵の上の死因をどのように読み解くのか。診断の材料は、物語の中に書かれた事柄だけである。


★葵の上の病状とその経過に関する情報を集める


 津村氏はまず、物語の記述の中から、葵の上の身体的条件t男病気の経過についての情報を収集する。
  1.26歳の女性
  2.妊娠中から体調不良があった
  3.出産時に強い苦しみがあった
  4.出産後には症状は消失していた
  5.出産10日目くらいで急死した
   (3の状況、5の死亡が生霊の性と解釈されたのである。)

 次に、出産と関連して死に至る病として多いものをりストアップする。
  ・逆子(骨盤位)分娩(ぶんべん)
  ・産辱(さんじょく)熱
  ・妊娠中毒症(妊娠高血圧症候群)
  ・周産期心筋症(産褥心筋症)
  ・肺塞栓(そくせん)症
 
 そして診断する。


★葵の上、本当の死因はエコノミー症候群!?


 津村氏は葵の上の死因を肺塞栓症とみる。肺塞栓症は「エコノミー症候群」と言う別名の方がよく知られている。血流が悪くなることによって下肢の静脈などにできた血栓が、血流が回復したときに押し流されて肺動脈に詰まって心臓から供給される血液をとめてしまうもので、しばしば重篤に陥り、時に死に至るという病である。

 別名は、飛行機の狭いエコノミークラスの席に長時間座ることによって、下肢の静脈が圧迫され
血流が悪くなり血栓ができ、機を降りて血流が戻ったとき血栓が押し流されてこの病を引き起こすという例が多く見られたことによってついた。血栓は、血液の状態では、十数時間のレベルでもできるようだ。

 葵の上には、それと同じ状況があったとツムラ氏は見たのである。津村氏は「分娩を経て症状が一時なくなったように見えたのち、急死」したところに目をつける。

○葵の上は陣痛が強く難産だった。それに加えて、妊娠中から体調不良であった。
○周囲は気遣っていつも以上に安静にさせた。葵の上は身体を動かさないようにして過ごした。
○その間に、葵の上の下肢には静脈内血栓(血液の塊)ができていった。
○10日間安静状態が続いたのち症状が回復。葵の上は源氏に手紙を書こうと立ち上がった。
 そのとき不幸にも、その血栓が下肢の静脈から外れた。
○血栓は血流にのって心臓に到達。右心房左心房を経て心臓に到達。

 津村氏は、葵の上の死の状況をこのように推測し診断したのである。
 能の題材にもなった六条御息所の情念のすさまじさの正体が、実はエコノミー症候群であったというのは驚きの推論であるが、確かに妊娠中は、胎児によって腹部の大きな静脈が圧迫されて血の流れが悪くなるので、静脈血栓症の危険性が高くなることが知られている。
 平安期における貴族階級の女性は、その生活の状況から考えると運動不足で、第二の心臓と言われる脚の筋肉は十分ついていないことが考えられ、ただでさえ血行は悪かったであろうし、食生活が偏っていて病気がちであったと推測されているということも考え合わせると、納得の診断結果である。

★医師の診断意欲と診断力

  しかし、この診断結果以上に私が感心したのは、物語の中の病人にまで向かう津村氏の診断意欲である。意欲というより、それはもはや行動習性になっているのかもしれない。病人がいれば、その人はなぜそうした病を発症したのか、原因はどこにあるのかと、と思いを馳せてしまう。

 病気を引き起こす原因は実に様々なものがある。診断のためには、患者の体質や生活の状況、そして病を発症するまでの経緯の把握が大変重要になる。食生活また生活習慣に問題はなかったか、大したことはないと思っている小さな事故や異変はなかったか、そこに至った状況はどうであったか、それらの中に病の原因が潜んでいないか、というように。

 しかし現実には、そうした情報を引き出さないままに、患者の訴えや表面に現れた症状のみで診断が下される場合が多い。私自身、医師の思いこみからの誤った診断のため、あやうく命を落としかけたという経験があり、、医師にはしっかりした診断力を持っていてもらいたいと願っている。その意味からも、たとえ物語上の患者であってもきちんと診断しようという津村氏の“診断意欲”を素晴らしいと思うのである。世の医師たち、医学生たちにも、ぜひこの“診断意欲”を持ってもらいたいと思う。

 津村氏の診断に対する意欲は、診断行動の積み重ねから生まれたものだと推測される。脳科学的には、ある行動に対する意欲というものは、その行動をすることによって強まると考えられている。失敗であれ、成功であれ、行動することが鍵になる。失敗をすればその失敗を修正したいという欲求が起こり、成功すればその快感によりもっとやりたいという意欲が生まれるからである。
 この診断意欲の上に、診断能力が築かれる。その能力をみがく上でも、失敗を修正するという行動が大きな意味を持つ。診断能力を高めるための最も効果的な手段となる。自分の診断に何が不足していたかを最もはっきり知ることができ、その改善の方向をつかむことができる経験だからである。
 
 次は、診断行動の積み上げ方について考えてみたい。

 













2017/02/14

40 学びて思わざれば即ち罔し

◆孔子、脳の働きに迫る?


 2500年ほど前の中国春秋時代の思想家孔子の言行を、弟子たちが記録した書物「論語」に「学而不思則罔、思而不学則殆」という言葉が残されている。「学びて思わざればすなわち罔(くら)し、思いて学ばざればすなわち殆(あやう)し」と読む。
 「せっかく学んでも、自分で考えてみないと知識は確かなものにならない。自分一人で考えるばかりで他から学ぶことをしなければ、独りよがりになって危険だ」という意味である。

 孔子の時代、もちろん脳の働きは解明されていなかった。 しかし、「学びて思わざればすなわち罔(くら)し」という言葉は、まさしく次のような脳の働きを言い当てている。
   「行動したことが、行動の記憶として成立する」 
 脳は、脳が働いたときに興奮した回路の状態を記憶として残す。脳の働き方(どの回路がどのように興奮するか)は行動のしかたでちがう。行動のしかたを耳で聞いた時の脳の働き方と、実際に自分で考えた時の脳の働き方は全くちがうのだ。つまり、考えるという行動は、自分で実際に考えることによって、はじめて脳の働きとして形成されるということである。

 人の話を聞いたただけで、自分で考えることをしなければ、その内容は本当には身につかないし、自分で考えるという行動も身につかない。孔子が、教育者としても多くのすぐれた弟子を育てたことは有名である。その過程における人間の行動とその結果とをよく観察分析して、その関連を整理し、学習の本質(脳の働き方)をとらえたのだと思われる。
 しかし、孔子ならずとも、行動体験を分析整理すれば、脳の働き方に迫ることができる。

◆理系学生3人の会話


 次に示すのは、インターネットブログで展開されていた実在の理系学生3人の会話の一部である。彼らは、自分の経験を整理して、脳の働き方に沿った学習の仕方に迫っている。

A 講義を長年聞いてきて思うのは、「教師が黒板に書きながら話し、それを学生が黙々とノートを取るという方式は果たして有効なのか?」ということ。
  物理学をやってきて実感したのは、自分のペースで考えないと理解できないということだ。
  ほんの1ページを理解するのに数時間かかったり、たった1行の数式を理解するのに数十分考えることだって珍しくない。
  どんどん進む教師の話をリアルタイムでは考えられない。
B それはまさに、数学において私も実感している。
A 黒板に書かれたものをノートに写していると、教師の話を聴く余裕がなくなり、考えるどころではない。
  他の人はノートを取りながら考えられるの?
C いや私も同じ。一方的に話す講義方式は、学ぶ側にとっては考える時間が全く足りない。
  質問を受けつける時間はあったが、どこがわからないのかわからない状況では質問自体できない。
A 講義でも、その場で理解できるものがないわけではないが、学習方法として講義が一番すぐれているとはどうしても思えない。
  「演習」とか「実験」とか、学生が主体となる方法がいくらでもあると思う。
  すくなくとも物理、数学に関しては、「演習」や「実験」を中心戦術に採用すべきじゃないのか。

 彼らは、会話の中で、中学から大学まで、記憶にある限り、「授業の中心は講義を聴いて板書をノートに書き写す行為」だったと述懐している。そして教師たちがそうした方法を取る理由は「教える側にとって楽な方法だから」「学生がわかっていなくても終了できる」からだと読んでいる。「学生主体の演習や実習では、自分の都合で終われない」からだと言うのである。さらに、講義形式にするのは、「効果的な授業方式を考え付かない教師たちが、惰性で続けているだけ」と手厳しい。

 また、最近のパワーポイントを使った授業は「板書以上に問題」という。書く手間がない分、(授業を進める)テンポが速くなるというのだ。次々変わる画面とともに話が展開し、内容が頭に残らない。表やグラフ、図解がカラフルに表示できるので、「一見進んだ講義技術のように見えるが、学習効果からは逆」と断じている。

 教師の本来の仕事は、学習者に学び方を習得させ、自分の力で学べるように育てることであるはずだ。板書を書き写させるだけのことでなく、学習者たちの脳を活発に働かせるような授業をしてもらいたいものだ。
 それには、3人の学生たちのように、学習者の立場になって考える、自分が新しい考え方をものにしたとき(あるいはものにできなかったとき)、どのような行動をしたかを、振り返ってみる必要がある。











2017/01/19

39 “指示待ち”から脱出させるには


★私に振ってくれれば、答えたのに・・・


 ある会社の営業支援部。部長、課長以外は全員が女子。会議で、部長から販売店への戦略に対するアイディアを求められた8人。意見が出ない様子を見て、先輩に遠慮していた新入女子社員が思い切って、販促活動のときの経験から考えたことを提案した。すると部長が「面白いじゃないか」と、具体的なやり方などを彼女に質問。前にそのことを彼女と話し合っていた別の社員からも補足意見が出て、どんどんその話が進み実施が決まっていった。


会議終了後、先輩社員の一人が「あの程度のことなら、私だって考えていた。振ってくれなかったから話せなかった」と言ってくやしがった。
 新入女子社員はそれを聞いて、「当ててくれるまで待っているなんて、学校じゃあるまいし、そんな姿勢で仕事をしてるなんてとんでもないこと」と思ったという。


「営業支援という仕事には、営業マンの仕事・顧客のニーズについて積極的に自分から情報をとり、こういうことがあったらお客さんには便利ではないか、こういうパンフレットがあったら品物について説明しやすいのではないか、と自分なりに考えて働きかけてみる姿勢が大事だと思う」と彼女は言う。「効果がなければ修正する、別の工夫をするようにしている。言われなくても積極的にお客さんに新しい商品情報を出したり、資料を作って行ったりしている。そうしたら、近頃は営業マンが声をかけてくれたり、お客さんから注文が入るようになった」と述懐した。


 先輩を含む他のメンバーが自分より劣っているわけではない。むしろいいセンスしているなあと思うこともたくさんあると彼女は言う。問題は、先輩たちが基本的に「言われたことをやる」「指示を待っている」という姿勢にあると彼女は思っている。
「新入社員の分際であまり目立っても、あとでやりにくくなると思うので、先輩に相談する形で情報を流し、先輩がアイディアを出したようにもって行くこともある」「みんなで競い合っていいアイディアをだして、お客さんにも営業マンにも喜んでもらえるといいなあと思っている。それが売り上げにつながると思う」と彼女は笑う。



★講義式の授業が“指示待ち”を育てる


 この事例で考えさせられるのは、先輩たちの「指示を待っている姿勢」。
 これは、一体どこで育てられたか。
 人間は、本性として積極的に情報を取る存在として生まれてくる。学習型の脳を持つ人間は、外界から新しく情報をとり行動のしかたを学ばなければ、生きていかれないからだ。幼い子どもの「あれ、なあに?」「どうして?」「ワタシがやる」「ボクもやりたい」はその表われだと言ってもよい。

そうした積極的な行動姿勢を「指示待ち姿勢」に変えてしまうのに、大きな力を持っているのが学校教育だ。現在の学校教育は、基本的に講義形式である。教師の問に対して答えるという形で学習が進められていく。小学校から十数年(長い人は大学までの16年間)の授業の多分7~8割は、教師にコントロールされその指示を待つ行動をとり続けることになる。

学習した結果は、教師によりどの程度習得したかをテストという形で確認され、採点され順序づけられる。失敗を修正する過程や良い結果を生み出すための努力は、評価の対象にならない。結果がすべてなのである。
そうした経験の積み重ねから、間違ってはいけない、正しい答、良いアイディアを出さなければならない、失敗はしたくない、という消極的な考え方が育ってしまうのである。
 

★指示待ち人間を、行動の場に引き出す


 では、そうした消極的な指示待ち人間に育ってしまった彼女たちを採用した会社はどうしたらよいのか。
 行動すべきは、上司たちである。
決してやってはいけないのは「やる気があるのか!」などと怒ること。それでは彼女たちは委縮し、ますます引っ込んでしまう。
 
まず、間違ってはいけないという、彼女たちのハードルを低くしてやる必要がある。一人ずつ聞いてもアイディアが出てこないなら、2人一組にして考えさせ、どちらでもいいからチームのアイディアとして答えさせる。出たアイディアはたとえダメであっても、すぐに否定することはしない。そのアイディアがダメなことを、自分たちで発見できるようにする。
 アイディアを実施するための条件を提示し、それに適合しているかを検討させるのだ。ここで大事なのは、いかに自分のアイディアに対して客観的になれるか、ということを社員に示すこと。自分のアイディアに固執せず、よりよいアイディアを作っていくこと、よりよい方向に修正できることが大切と言うことを、しっかり伝える必要がある。
 
 時には、やらせてみて悟らせる。何か事を行うときに、失敗は当たり前。大事なのはその失敗を修正すること、そしていかに成功までこぎつけるか、その過程を経験することである。ベテランは、新人に「お前にはまだ無理だ」とやらせないことが多いが、失敗させないようにするのではなく、自分で修正できるような、小さなチャレンジをさせていくようにする必要がある。失敗を克服するとそれは自信につながり、チャレンジすることにも意欲的になっていく。
 部下にチャレンジさせて、その失敗を修正させる。修正しきれないときは自分がカバーするというぐらいの気概のある上司のもとに、能力ある部下が育つ。

2016/12/14

38 三人の大学教授の話


■白洲次郎が師事したケンブリッジ大学の指導教授

 白洲次郎(1902-1985)というのは、終戦直後吉田茂の側近としてGHQと渡り合い、「従順ならざる日本人」と言わしめた男である。本来は実業家であるが、イギリス留学時代に親交を得た吉田茂に請われ、終戦連絡中央事務局の参与となり、以後、経済安定本部次長、貿易庁長官、東北電力会長などを歴任した。終戦時期を描いたドラマにはしばしば登場し、NHKの吉田茂が主人公であるドラマ「負けて勝つ」の中にも登場している。
 その白洲次郎のイギリスのケンブリッジ大学留学時代のエピソード。
 「自信がある。間違いはない」と提出した論文を、ケンブリッジの指導教授から「評価に値しない」とつき返される。納得がいかない白洲は教授になぜだめなのかを尋ねる。教授は言った。「君の論文は、私が教えたことを、そのまま繰り返しているだけだ。そういうのを論文とは言わない」そして、次のように続けたという。
 「まず(私の考えを)否定せよ。そして、そこから考えよ。」


■東京帝国大学海後宗臣教授

海後宗臣(かいごときおみ)氏は父の恩師である。東大教育学科が学部に昇格したその初代学部長、長らく教育学会長を務めた。教育史家と位置付けられているが、むしろ日本の教育学の基礎を打ち立てた人といった方がふさわしい人である。その海後宗臣教授の助教授時代のエピソード。(昭和10年代)
 大変まじめで1回も休まず海後助教授の講義に出席していた父の友人に、あるときたずねた。
「○○君、君は大変まじめに私の講義に出ているが、君自身の勉強は進んでいるのかね。」

■或る教授

多分、新聞のコラムで読んだのだと思うが、どこかの大学の名前はわからない或る教授の話。コラムの執筆者が学生の時の、その教授のオリエンテーションから3時間目までの講義での体験である。
 オリエンテーションの時に、その教授は、自分の講義の内容の概要と使用するテキストについて説明し、1時間目はテキストの1章をやるので「予習して来るように」と言った。
 そして1時間目。教授は学生たちに「予習してきましたか?」と聞いた。誰も手をあげない。教授は言った。「では帰ります。次はもう1回1章をやります。予習してきてください。」

 2時間目。教授は学生たちに「予習してきましたか?」と聞いた。ほとんどの学生が手を挙げた。「何か質問はありますか?」誰も手をあげなかった。教授は言った。「では帰ります。次は2章をやります。」

 3時間目。必死になって2章を勉強した執筆者は、教授に質問した。教授は懇切丁寧に、執筆者の質問に答え、自分の考えるところを話した。そして言った。「ほかに質問は?」質問する者はいなかった。「では帰ります。次回は、3章をやります。予習してきてください。」
 
 3人の教授がその行動で示しているのは、学問とは基本的に研究でなければならないということだ。大学は、他の人の論をただ取り込むための場所ではなく、自分なりの考えを築くところだということだである。教授とはそのための道筋を示したり、アドバイスを与えたり、論を戦わしたりして導くためにいるのであって、知識を伝えるためにいるのではない。学生が、いかに自分自身の頭で考え、自分なりの考えを構築していくような場づくりをするかが、教授の力だということだろう。

37 親の役目


切抜きを整理していたら、こんな記事を見つけた。2015年9月13日の毎日新聞である。

▽「マッチを使える」小学生は、全体の18.1%で、20年前の58.9%
 ▽「包丁でリンゴの皮をむくことができる」は10.1%(20年前は36.3%)
 ▽「缶切りで缶詰を開けることができる」は、20.7%(同50.7%)

昔の子どもはできたのに今の子どもは出来ない。生活能力が低下してきている、といったようなものだった。
 

20年前の授業参観で

 

娘が4年生のときの授業参観。理科「熱伝導」、1班6人での実験。金属や木を温めて、熱がどう伝わるかを観察する実験。金属板の上のチョコレートがどう溶けるかを観察するなど、なかなか工夫された楽しい授業だった。板を温めるのはアルコールランプとガスバーナー。着火はマッチだった。
 ところが、娘の班ではマッチを使えたのは6人中1人でうちの娘だけ。他の5つの班も似たようなもので教師は大わらわで各班を回って指導していた。およそ20年前のことである。我が家は周囲にまだ畑の残る都会の郊外に属する地域、ここではすでに20年前からそんな状況だった。
 

使えないのは使わなくなったから

 

マッチが使えないのは、マッチが日常生活ではほとんど使われなくなったからだ。線香に火をつけるときぐらいだろう。花火のときだってマッチを使わない。多くの家では“チャッカマン”なるものを用意している。先端の長いライターで、液化ガスと電池を内蔵し、手元のボタンを押せばガスが出て点火するという、安全に火をつける道具である。我が家にはこの着火なるものは備えていなかったので、娘にはマッチを使う機会があった。そのため、マッチで火をつけることが出来たわけである。最近は集合住宅に済む人が多くなり、煙が迷惑ということで各戸での花火遊びはなく、多くの公園でも花火は禁止、マッチとはますます縁がなくなった。

缶切りが使えなくなったのも、缶切りを使う機会が減ったためだと考えられる。最近は缶切りがなくても開けられるようにと、プルトップ式でふたを開けるタイプのものが多くなっている。缶切りというものの存在を知らない若者も増えてきているようだ。
 

使えないのは使わせないから

 
使えないもう一つの理由は、使わせないということである。10%しかできないというリンゴの皮むきはそれだ。ピーラーという皮むき器もあるが、これは切り分けられることが出来ない。ナイフは1つで切り分けも皮むきもできる便利な道具である。皮むきの対象となるのは、リンゴだけでなく、梨も柿も、ジャガイモもサツマイモも、一つできれば、その応用でいくつにも広がる。

食事作りは毎日のこと。ナイフは使う機会も対象もたくさんある。それなのに出来ないということは、親が子どもに経験させていないということである。ナイフを持たせては危険だからと、親が剥いて与えているのである。しかし、ここで考えたい。親の役目とは何か。怪我をさせないように育てることなのか、それとも怪我をしないような道具の使い方を工夫する能力を身につけさせることなのかと。
 
 

親の役目、親の仕事

 
子どもは「育てられる」というより、与えられた環境の中で「育っていく」ものなのである。それも経験したことに応じての育ち方をする。人間の「脳―神経系」は、経験したことすべてを脳―神経系の回路に記憶して、それらを関係づけ構造づけて、自分の働き方を作っていく。だから、一人ひとりその経験の違いによって記憶していることできることが違ってくる。
環境の中で様々な観察をし、さまざまな経験をして、脳神経系の中に行動の仕方を蓄積していくのである。試行錯誤し、自分なりに判断し行動する、行動の結果が失敗であれば、その原因を分析して間違いを見つけ修正する。そうした行動経験に応じて、行動の記憶が形成され、行動する力となっていく。すべて準備されて、ただそれを待っていて受け取るだけの経験しかしなければ、そういう行動のしかたが記憶され形成されてしまうのである。
親の役目は子どもを自立させること、一人で生きていく力をつけてやることである。どんな環境を作りどんな行動経験をさせるかを考え、そういう場・機会をつくり、子どもの行動を見守る。それが親の仕事だ。
 
 
 
 

 

2016/11/01

36 運動の法則-長く続かせるための3か条


力学の話ではない。やるべきと考えたことを世の中の人に伝え、大きな動きとするための活動の仕方のことである。紹介するのは、反原発運動を展開している弁護士河合弘之氏の「運動の法則」。
 
 河合氏は今、自ら監督した反原発の映画「日本と原発」(2014年)、2015年秋に完成した2作目「日本と原発―4年後」を引っさげて日本国中を講演して回っている。弁護士の河合氏がなぜ映画を作ったのか。それは、名前を公表して“反原発”の映画を作ってくれる人がいなかったからだ。依頼した監督、カメラマンに皆断られた。政治的な圧力がかかり仕事が来なくなってしまうというのだ。仕方がないので河合氏自身が監督することになったのだ。実際には、映画製作には多くの人が関わっている。カメラマンも脚本家も編集者もいる。映画のクレジットタイトルには大勢のスタッフ名が連なるが、監督の河合氏、構成・監修の海渡雄一氏(反原発で河合氏と共に闘う弁護士)、製作協力の木村結氏(東電株主代表訴訟事務局長)の3人以外はみな仮名であるという。
 「日本と原発」映写会、映画の後には漫談のような講演をする。河合氏はそこで「運動の法則」を説く。


          
    
 
第1の法則:「明るく楽しくやる」

「こうした運動をやる人は一生懸命なのだが、概して悲壮感がある。原発反対をテーマとした映画はいくつもあるが、みな暗い。見ていると気が滅入ってしまう。これではダメだ、続かない」と河合氏は言う。確かに、人間の脳は「快」に向かって行動する。やっているそのことが、面白く楽しくならなければ、なかなか活動は続かない。しかしどうしたら、深刻で難しく大変なテーマについて、明るく楽しく運動できるのか。

 
第2の法則:「レベルは高く、しかし、わかりやすくやる」


心情だけで動くのではなく、科学的なアプローチをすること。問題の原因がどこにあるのか。どうしたら状況を変えられるのか。本気で勉強し調べて明らかにしていくこと。それが河合氏の答えだ。本気で勉強し調べて行くと、問題の本質や背景がだんだんわかってくる。何をめざし、どう行動していくべきか、だんだん先が見えていくようになる。そうすると希望が生まれ、明るく取り組めると河合氏は言う。

原発訴訟で闘う河合さんは、運動の方向を「裁判官を説得すること」と見定めた。かつての原発訴訟では原告の訴えはことごとく退けられた。しかし福島の事故で、裁判官たちも原発の恐ろしさを思い知ったはず、国の論理のみで原告の訴えを退けるという姿勢はもう許されない。原発の本当の怖さと、行政や企業がそれにきちんと対応してない事をしっかりと伝えるための映画をつくり、そのことをわかりやすく伝える。河合氏は、原発が日本に導入され全国展開されていった経緯や、原発の技術的な問題、そして3.11福島の事故について詳しく調べあげた。問題はどこにあるのか、これからどう進むべきか、映画の中でその方向が見えてくるように表現することを心がけたという。

現在、原発訴訟が各地で展開されているが、今では裁判所が「日本と原発」の映画を資料として見てくれるようになったという。一歩も二歩も前進していると河合氏は力強く語る。


第3の法則:「本気で取り組んでいると、誰かが助けてくれる」

 情報をくれたり手伝ってくれる人が出てくるというのである。実際に映画作りもそうして実現できた。  河合氏の、小さいことを積み重ねて大きな動きにしていく運動の法則、それを成立させるものは行動の姿勢(つまり脳の働き)だ。小さな変化でもプラスと考える姿勢、困難の中にも面白さを見出す精神。そして、ユーモア。その精神が映画の中にも表現されており、深刻な映画の中にも笑いが起こる。それが観客の脳をも刺激し、講演終了時には、皆で頑張ろうという気持ちになっていくのである。
 12月24日福井地裁は、高浜原発差し止め請求裁判で、4月に出された仮処分を取消し再稼働を認めた。1歩前進2歩後退の状況だ。弁護団長の河合さんは、「このような結果に一喜一憂することなく闘い続ける」という声明を出し、翌25日に名古屋高金沢支部に取消抗告
を申し立てた。


 *この稿は、2016年1月、JADECニュース96号(能力開発工学センター機関紙)に掲載した
  ものである。








2016/10/21

35 まず、やると決める ― 緒方貞子さんの行動の法則


ルールに従うのではなく「やるべきこと」をやる

1991年から2000年までの10年間、国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんの行動のしかたには一つの法則があった。やった方がよいと思われるが、そのことを実施するのは非常な困難を伴う、という課題が目の前に示されたとき、それを「やるべきかどうか」と考えるのではなく、まず「やる」と決めてしまうということだ。やると決めてから、そのやり方を考えるということである。

例えば、就任してすぐの1991年4月に発生した、イラクの一民族であるクルド人難民問題。武装蜂起したが、フセイン政権に追われ大半はトルコに逃れたが、40万人がイラク国内に取り残されてしまった。自国内にいる難民は、「迫害の恐れがあるために国外に逃れ、自国の保護を受けられない人々」という国連で決議した難民条約の定義には当てはまらないため見捨てる、というのが難民高等弁務官事務所(UNHCR)の慣例であった。しかし緒方さんは「支援を行う」と決めた。「国境を越えようと越えまいと、UNHCRは被害者とともにいるべきです」と幹部たちに伝えたという。

 緒方さんは世界中からUNHCRの職員を北イラクに集め、多国籍軍の協力を得て難民キャンプを設置。国連もその活動を認め、30ヵ国からの支援物資、航空機200機、兵2万人の支援活動が展開された。

 92年のボスニア・ヘルツェゴビナでの民族紛争では、国連軍を指揮下におきサラエボに食糧や水の補給をやってのけ、戦争終結後は対立民族が協働して行う事業等、様々な生活再建プロジェクトを立ち上げた。
 

 

「やる」と決めると脳の働き方が違ってくる



緒方さんのこの行動の法則は、大学で国際政治学の非常勤講師をしていた子育て中の彼女が、婦人運動家の市川房江さんから日本代表として国連に3か月間行くことを頼まれたとき、迷う彼女に父の中村豊一さん(外交官:元フィンランド特命全権公使)が、「行くと決めて、あとのことは皆で考えればよい」とアドバイスしたことに始まるという。


まずやると決めるのと、やるべきかどうかを考えてから行動を起こすというのでは、脳の働き方が違ってくる。やると決める場合は、考える内容を「いかにやるか」に絞れるので、具体的な活動に展開するまでが早くなる。まず大きな目標、最終目標を決め、次に、具体的に行動するための条件を整えていく。

 ① 自分の条件を分析し、不足しているもの、障害となるものを洗い出す。

 ② 障害をどうしたら解消できるか、その手立てを考える。

 ③ その手立てを実現するための条件づくりをし、活動する。

手がかり足がかりを探し、つくる。仲間を探すことも重要な要素。そのことを相談できる人、アドバイスしてくれる人、手段を持っている人、教えてくれる人、直接手助けをしてくれる人、物資を提供してくれる人を探し、条件づくりをし、行動を展開していくのだ。
 
 

「やる」と決める基準

緒方さんが「やる」と決めるその決断の基準は、「リスペクト(尊敬・尊厳)」。最も恵まれない人々の尊厳を守ることと、その最も恵まれない人々を守ろうとする人々への尊敬。多くの人々が緒方さんの行動に共感し、心を動かされ、協力するのは、その基準があるからだろう。
我々の日常でも、その困難さゆえにやるべきかどうかを迷うことは、しばしば起こる。(緒方さんとは比べ物にならない些細なことではあるが)そんなとき、この緒方さんの行動の法則を思い起こしたい。
 
*この稿は、2014年12月JADECニュース(能力開発工学センター機関紙)に掲載したもの
 である。