▼ 二十(はたち)過ぎればただの人?
「十で神童、十五で才子、二十(はたち)過ぎればただの人」ということわざがある。ある時期、わが子の能力に目をみはった経験を持っている親は少なくないだろう。どんどん文字を覚え、本を読み、すばやく計算をする。そうした子どもを見て、将来どんなに優れたものになるかと親も周囲も期待をかける。ところが、成長するにつれてだんだんその能力に陰りが出てきて、学校を出る頃には平凡な人間になってしまい、思いが裏切られることになる。ことわざは、そうした経験から生み出されたものだろう。
しかしなぜ、最初は神童とまで思えた人間が、大人になると平凡な能力の人間になってしまうのだろうか。
▼ 脳が本来の機能を発揮しはじめるのは、30歳を過ぎたころ
脳に関する数々の著書を出して注目されている新進の脳学者池谷裕二氏は、大人になるとだめになるどころか、本当は「人間は30歳すぎたころから本当に賢くなる」、いやなれるはず、そういう脳を人間は持っているのだと言う。池谷祐二氏自身も、30歳を越えてから急に脳の働きがよくなったと感じるようになったという。
池谷氏は、自身のことを一種の記憶障害であると語る。大学生ころまでは、いくら一生懸命勉強しても、友達のようにすぐには覚えられなかったという。だから、学習のしかたを工夫し必死にノートに整理しては覚える。そうして勉強してきた。ところが、30歳を越えた頃になって、それまで脳に蓄積してきた情報(記憶)が有機的に連繋しはじめ、発展的にものごとを考えられるようになったという。それは、その年ごろになると、脳の本質的な働きが、有効に機能し始めるからなのである。
▼ 子どもの記憶と大人の記憶
われわれは、記憶力の良し悪しの判断を、ものごとを正しく覚えているかどうか、つまり記憶を正しく引き出すかどうかで判断する。確かに子どもは、教えられ覚えたそのことをすぐに答えられる。それが、頭が良いと驚かれる所以であるが、それは、記憶していることが少ないからである。記憶量が少ないために、目的の記憶をすぐさま探し当て引き出すことができるのである。
一方、30歳ぐらいの大人の記憶量は、3,4歳の子どもの記憶量が1000だとすると1億か10億、もしかするともっと多いという。1000の記憶の中から目標のものを探すのと、1億10億の中から探すのでは、その大変さが違う。子どもの記憶の何十万何百万倍の記憶を対象にするのであるから、しまい場所にたどり着かなかったり、間違ったものを引き出してしまったりということが起こるのも当然で、それは大人の脳の働きが悪くなったということではない、と池谷氏は言う。
▼ 脳の本質的な働きは「分類して組み合わせ」
「一を聞いて十を知る」という言葉がある。これは、頭の良い人のことを褒め称える言葉として使われるのであるが、実はそうしたことは、凡人であるわれわれも、日常的に経験している。
人間の脳は、「ものごとを要素に分類して記憶し、その記憶を組み合わせて使う」という働き方をする。この「分類して組み合わせ」が、脳の本質的な働き方なのである。だから、新しいことでも、前に似かよった行動をしていたなら、それらの記憶を組み合わせて考えることができるし行動することができる。1から10まで全てを教えられなくてもできるのである。これが「応用をきかせる」ということである。
この「応用をきかせる」ということは、子どもにはなかなかできない。子どもの段階は単純記憶で、この脳の「分類して組み合わせ」という働きは、まだ機能していない。分類と組み合わせは、記憶がある程度蓄積されていかなければできないからである。
「応用をきかせる」ことは、大人になり、経験を重ねていくほどできるようになっていく。それは、脳がだんだん本当の機能を発揮していっているという証拠である。だんだん成長して能力が高まる脳を、われわれは持っているのである。
▼ 誰もが賢くなる可能性をもっている
脳の働き方が、単純記憶方式から分類・組み合わせ方式に移行し始めるのは10代の頃からで、成長するにつれだんだんそれが主流になっていくという。行動経験がさまざまに積み重ねられれば重ねるほど記憶の量が増えていく。記憶が増えれば増えるほど、その組み合わせによって生まれるものも増えていくので、応用を利かせることができるし、新しいものを生み出せるようになっていく。30歳過ぎというのは、学校を出て10年、いろいろな行動経験が積み重ねられ、記憶が十分蓄積されたころである。そのころから人間が本当に賢くなっていくというのは、そういうことである。
人間の脳は、誰の脳も本質的には同じである。したがって、誰もが、どんどん賢くなれる可能性を持っている。
現実的には、必ずしもすべての人がそれを実感してはいるわけではない。逆に「中学校までは何とか勉強できたが、高校以降はついていけなくなった」「経験を重ねても、応用が利かない、いろいろなものごとを関連付けて考えられない、新しい工夫ができない」と悩む人は多い。それはなぜか。次回は、そのことについて考えてみる。
「行動の単純化が脳の働きを衰えさせる」「教えない方が選手はのびる「ビールは23歳で好きになる」・・・・・人間には、本来持っている学習のしかたがあります。脳が新しいことを学習するメカニズムのことです。JADEC(能力開発工学センター)では、人間の行動を脳の働き方という視点から分析し、そこから学習のあり方を考えます。
2008/04/07
2008/02/29
20 「口中調味」ができますか?
口中調味とは、おかずとごはんを交互に食べ、味を混ぜ合わせて食べるということである。口中調味は日本人独特の食べ方で、欧米人にはなかなかできず、例えばカツ丼を食べるという場合、カツだけ先に食べてしまいその後で残ったご飯を食べるという例が多いという。一緒に食べると味がよくわからないという人もいるそうだ。欧米人は、その食生活のなかで主食とおかずを別々に食べてきたために、混ぜて味わうという行動回路が脳の中にできていないからである。
「行動したことが、行動できるようになる」のであって、「行動しないことは行動できない」ということである。行動というのは、必ずしも身体を動かすということではない。脳への刺激となる人間の活動すべてを意味する。同じ文章でも、「聞く」、「目で読む」、「声に出して読む」、「紙に書く」では脳へ刺激、神経回路への電気信号の流れ方は違うのである。さらに、その文字で書かれたことを、実際に身体を使って行動するのとでは全く違う。つまり、口中調味の仕方についての話を聞いただけで、実際にそのこと(口中調味)が出来るということはないということである。
日本でも、最近口中調味ができない子どもがふえてきたという。「ばっかり食べ」といって、おかずならおかずばかり食べ続け、つぎは味噌汁だけをのみ、ご飯はご飯だけで食べるという食べ方をする。これは日本の家庭における食のあり方が変わってきたことを物語っている。子どもたちが口中調味と言う食べ方を経験する環境がなくなってきたと言うことである。口中調味をしなければ、口中調味を成立させるための記憶も成立しないからである。
昔は三世代同居で「箸の上げ下ろしにもうるさい」祖父母や親がいて、そうした中で口中調味をする能力が育ってきた。そういう環境が失われてきたということである。家庭に口中調味が重視する人(世代)がいない、もしくは口中調味が重視する人とともに食事ができないという環境にあり、食べ方を指導されることが少なくなっているということを示している。事実、現代では、弧食・個食が社会問題になっている状態である。社会の変化は、行動能力の変化をもたらすということである。
「行動したことが、行動できるようになる」のであって、「行動しないことは行動できない」ということである。行動というのは、必ずしも身体を動かすということではない。脳への刺激となる人間の活動すべてを意味する。同じ文章でも、「聞く」、「目で読む」、「声に出して読む」、「紙に書く」では脳へ刺激、神経回路への電気信号の流れ方は違うのである。さらに、その文字で書かれたことを、実際に身体を使って行動するのとでは全く違う。つまり、口中調味の仕方についての話を聞いただけで、実際にそのこと(口中調味)が出来るということはないということである。
日本でも、最近口中調味ができない子どもがふえてきたという。「ばっかり食べ」といって、おかずならおかずばかり食べ続け、つぎは味噌汁だけをのみ、ご飯はご飯だけで食べるという食べ方をする。これは日本の家庭における食のあり方が変わってきたことを物語っている。子どもたちが口中調味と言う食べ方を経験する環境がなくなってきたと言うことである。口中調味をしなければ、口中調味を成立させるための記憶も成立しないからである。
昔は三世代同居で「箸の上げ下ろしにもうるさい」祖父母や親がいて、そうした中で口中調味をする能力が育ってきた。そういう環境が失われてきたということである。家庭に口中調味が重視する人(世代)がいない、もしくは口中調味が重視する人とともに食事ができないという環境にあり、食べ方を指導されることが少なくなっているということを示している。事実、現代では、弧食・個食が社会問題になっている状態である。社会の変化は、行動能力の変化をもたらすということである。
19 学習時間と学習効果
学習者のペースで考えさせたり、調べさせたり、実験させたりすると、時間がかかるという指導者がいる。だから講義方式にするのだという。そうすれば、予定の時間で学習を終わらせられるというわけである。たしかに、話で終わらせれば、教師の思ったとおりの時間で終わらせることができる。しかし、その時間に学習者がどれだけ自分の脳を働かせたかを、考えてみなければならない。
話を聞いているときには「わかった」と思っても、後になって自分で考えようと思っても考えられない、ということがよくある。それは、わかったと思っただけで、本当にはわかっていなかったのである。
本当にわかるというのは、話をした人が感じたり考えたりしたことを、自分も同じように感じ、また考えることができるということである。つまり、聞き手が話し手と同様に頭脳を働かせることができた場合に、それを本当にわかったというのである。話し手と同様に頭脳を働かせることができるためには、聞き手が話し手と同じか同じ程度の経験や論理力思考力が必要である。
「教えれば(説明すれば、あるいはやって見せれば)できる」と考えているとすれば、それは間違いである。脳は、行動したことを記憶するのである。教えるというのは、教える側の行動である。教える人が、自分の経験を材料にして、自分の論理で話を展開する。教えているものの脳は、活発に活動している。自分の経験を整理し、追体験していることになりその行動を成立させるための神経回路(以下、行動回路)に電気信号が行き交う。その結果、その行動回路はさらに確実なものになる。
それに対して、話を聞いているだけ、見ているだけで、自分のペースで考えず、やってみることもしない学習者の脳には、たいした刺激がいかないので、期待するような行動回路はできていかない。
話を聞いてそれで行動ができるようになったという人がいるかもしれないが、その場合はもう既にそのことを成立させる要素となる行動回路ができており、それを関連づける視点が与えられたのでできるようになったということなのである。
(参照:13 試行錯誤の脳行動学的意味)
話の内容や論理を理解するのに必要な経験や、論理を把握する力のない聞き手には、いくら聞いていてもよくわからない。わからないからおもしろくない、だから聞かない、というようなことになる。そういうことでは、いくら予定の時間に学習が終わったといっても、その時間は学習者にとっては無駄であったということになる。
時間が少ないからこそ、形だけでなく、学習者の脳を思い切り働かせて、本質的な能力と行動姿勢を育てることを考えなければならない。
話を聞いているときには「わかった」と思っても、後になって自分で考えようと思っても考えられない、ということがよくある。それは、わかったと思っただけで、本当にはわかっていなかったのである。
本当にわかるというのは、話をした人が感じたり考えたりしたことを、自分も同じように感じ、また考えることができるということである。つまり、聞き手が話し手と同様に頭脳を働かせることができた場合に、それを本当にわかったというのである。話し手と同様に頭脳を働かせることができるためには、聞き手が話し手と同じか同じ程度の経験や論理力思考力が必要である。
「教えれば(説明すれば、あるいはやって見せれば)できる」と考えているとすれば、それは間違いである。脳は、行動したことを記憶するのである。教えるというのは、教える側の行動である。教える人が、自分の経験を材料にして、自分の論理で話を展開する。教えているものの脳は、活発に活動している。自分の経験を整理し、追体験していることになりその行動を成立させるための神経回路(以下、行動回路)に電気信号が行き交う。その結果、その行動回路はさらに確実なものになる。
それに対して、話を聞いているだけ、見ているだけで、自分のペースで考えず、やってみることもしない学習者の脳には、たいした刺激がいかないので、期待するような行動回路はできていかない。
話を聞いてそれで行動ができるようになったという人がいるかもしれないが、その場合はもう既にそのことを成立させる要素となる行動回路ができており、それを関連づける視点が与えられたのでできるようになったということなのである。
(参照:13 試行錯誤の脳行動学的意味)
話の内容や論理を理解するのに必要な経験や、論理を把握する力のない聞き手には、いくら聞いていてもよくわからない。わからないからおもしろくない、だから聞かない、というようなことになる。そういうことでは、いくら予定の時間に学習が終わったといっても、その時間は学習者にとっては無駄であったということになる。
時間が少ないからこそ、形だけでなく、学習者の脳を思い切り働かせて、本質的な能力と行動姿勢を育てることを考えなければならない。
2008/01/21
18 荒川静香の授業
―個人競技も、チームでうまくなる―
スケートのシーズン。ショーや競技の解説でTVに登場する荒川静香さんを見る機会がよくあるが、私は、以前に見たNHK「課外授業:ようこそ先輩」での荒川さんが強く印象に残っている。母校仙台市立台原小学校の6年生1クラスに2日にわたってスケートを教えたのだが、その指導のしかたが素晴らしかったのである。
● 前に進む姿勢をつくる
1日目。荒川さんの模範演技の後、子どもたちは早速リンクに出される。経験のある子もいるが、スケートリンクの真ん中に行くだけで一苦労という子もかなりいる。しかし子どもたちには、いっさい手を貸さない。滑れない子にはコーンを渡し、それを押しながら前に進ませる。他人の力を借りるのではなく、自分の足を使って滑らせることがねらいだ。
荒川さんは、子どもたちにスケート・リレーをするという課題を出す。一人で練習させると、手すりにつかまってなかなか滑らない子もいるが、チームで競争ということになると、前に進むようになるという。自分が滑れるかどうかがチームの成績にかかわってくるので、上達が早いというのだ。
● 目標は順位ではなく、自分たちの記録の短縮
8人ずつ赤、緑、青、黄の4チームに分け、それぞれしばらく練習をした後、最初のレース。1チームずつ走って、タイムを測る。赤チームには経験豊富な子が数人いるため、断然早い。緑チームには今日はじめてスケート靴をはいたというAさんがいるため、赤チームより43秒も遅かった。しかし、チームワークと応援は一番。練習のときAさんには皆でこつを教え、励ます。応援では、コースの内側を併走して声をかける。
荒川さんは、レース結果を示し、もう1回レースをすることを告げる。目標は順位ではなく、自分たちの時間をどのぐらい縮めるかということ。いかに協力するかが大切、と子どもたちに語る。そして、練習時間を与える。
● 一番タイムの良いチームにアドヴァイスしたわけ
練習の様子を見ていて、荒川さんは、ひとつのチームの子どもたちを別室に呼び集める。タイムの悪かった緑チーム,黄チームではなく、一番良かった赤チームである。チームワークが悪いと感じたからだ。他のチームがアドヴァイスしあったりしている中で、このチームは、メンバーがそれなりに滑れるためか、一人一人ばらばらに練習していたのである。「勝つためには、チームの協力が大切」とアドヴァイスする。
2回目のレースの結果、赤チームもそれなりに記録を伸ばしたが、チームワークの良い緑チームの記録の伸びにはかなわない。12秒差に迫られた。
● 荒川さんの思い
荒川さんは自分自身の経験から、人に教えることとチームワークの大切さを実感している。かつて、同じスケート教室で学ぶ後輩たちにジャンプの跳び方を指導した。跳べない友達にどうアドヴァイスするか、どう励ますか、それを工夫する過程で自分自身が成長したことを実感している。なぜできないかを考えることが、自分自身に演技をふりかえさせることになり、改めて気がつくことが多かったという。
2日目、荒川さんは教室で、自分の練習・競技歴とその節目節目での心の動きを整理した年表を見せる。そして、個人競技であるスケートも仲間のチームワークや、多くの人たちからの励ましがあったからこそ金メダルを胸に飾ることができたと語る。子どもたちに「勝つために大事なのは、お互いを思いやる心の結束」とアドヴァイスする。
● 自分たちで問題点を分析、練習 → 最後のレースへ
授業も大詰め、いよいよ最後のレースに向けての練習だが、その前に荒川さんは、子どもたちに、自分たちのタイムをどこでどう短縮できるか、工夫の余地がある要素を洗い出させ、短縮のための練習のしかたを考えさせる。バトンの渡し方、コーナーの曲がり方、応援の仕方、滑れない子へのアドヴァイスの仕方など、それぞれグループで話し合い、その項目を紙に書き出す。
その紙を持って再びリンクへ。各グループは練習計画に沿って練習。今度は、どのチームもみな協力し合っている。励ましあっている。
最後のレースとその結果。各チームそれぞれに記録を更新したが、青チームは21秒短縮で、赤チームを抜いてトップに立った。緑チームは12秒短縮で、赤チームにわずか2秒差まで追いついた。それまで一番タイムの悪かった黄チームは、順位こそ変わらなかったが、短縮時間46秒は1位、最初のレースからは何と2分10秒も速くなった。
最後に荒川さんは、子どもたち全員の頑張りをたたえ、「一生懸命やればきっとできる。大事なことは決してあきらめないこと。お互いを思いやる心の結束が大切」と結んだ。
●見事な荒川さんの授業、脳行動学の面からのポイントを整理すると・・・
① 「リレー」という共同行動,「チームの記録短縮」を課題として設定したこと
・自分一人の問題ではないので逃げられない。前に進むという姿勢になる。
・8人チームなので、一人ひとりにとっての気持ちの負担はそう大きくない。
・自分が頑張ればチームのタイムが上がるというやりがいもある。
→ やり始める事が大事。やり始めるとやる気が出る。
→ 頑張ればできそうと思えるとき、脳は活性化し意欲的になる。
②チームで教え合うことに力を入れて指導したこと
・教えるためには、相手の滑り方を観察するとともに、自分の滑り方を見直すという活動になる。
・何気なくやっていることの意味にも気づくことも多い。
→ 反省的・自覚的に脳を働かすことが、脳の活動として一番効率がよい。
③目標を実現するためのポイントを「チームの協力」とし、適切な時点で、具体的な目標と適切なアドヴァイスを与えたこと
・記録の伸びに差が出て、問題意識が芽生えたときに、自身の経験を材料として「チームワーク」の大切さを語った。
・チームで具体的な工夫をさせ、確実に成果が出るようにした。
→ 助け合って良い結果を得られれば、助け合うことが好きになる。
→ 成長が自覚できると頑張れる。
荒川さんは、「個人競技もチームでうまくなる」「助け合う仲間づくりこそ、全体の力が伸びる原動力」と教えたのである。助け合い、ともに喜び合える姿勢と手段を育てる。子と画でイメージさせるのではなく、子どもたち自身の活動の結果として、それを実感させたのである。
スケートのシーズン。ショーや競技の解説でTVに登場する荒川静香さんを見る機会がよくあるが、私は、以前に見たNHK「課外授業:ようこそ先輩」での荒川さんが強く印象に残っている。母校仙台市立台原小学校の6年生1クラスに2日にわたってスケートを教えたのだが、その指導のしかたが素晴らしかったのである。
● 前に進む姿勢をつくる
1日目。荒川さんの模範演技の後、子どもたちは早速リンクに出される。経験のある子もいるが、スケートリンクの真ん中に行くだけで一苦労という子もかなりいる。しかし子どもたちには、いっさい手を貸さない。滑れない子にはコーンを渡し、それを押しながら前に進ませる。他人の力を借りるのではなく、自分の足を使って滑らせることがねらいだ。
荒川さんは、子どもたちにスケート・リレーをするという課題を出す。一人で練習させると、手すりにつかまってなかなか滑らない子もいるが、チームで競争ということになると、前に進むようになるという。自分が滑れるかどうかがチームの成績にかかわってくるので、上達が早いというのだ。
● 目標は順位ではなく、自分たちの記録の短縮
8人ずつ赤、緑、青、黄の4チームに分け、それぞれしばらく練習をした後、最初のレース。1チームずつ走って、タイムを測る。赤チームには経験豊富な子が数人いるため、断然早い。緑チームには今日はじめてスケート靴をはいたというAさんがいるため、赤チームより43秒も遅かった。しかし、チームワークと応援は一番。練習のときAさんには皆でこつを教え、励ます。応援では、コースの内側を併走して声をかける。
荒川さんは、レース結果を示し、もう1回レースをすることを告げる。目標は順位ではなく、自分たちの時間をどのぐらい縮めるかということ。いかに協力するかが大切、と子どもたちに語る。そして、練習時間を与える。
● 一番タイムの良いチームにアドヴァイスしたわけ
練習の様子を見ていて、荒川さんは、ひとつのチームの子どもたちを別室に呼び集める。タイムの悪かった緑チーム,黄チームではなく、一番良かった赤チームである。チームワークが悪いと感じたからだ。他のチームがアドヴァイスしあったりしている中で、このチームは、メンバーがそれなりに滑れるためか、一人一人ばらばらに練習していたのである。「勝つためには、チームの協力が大切」とアドヴァイスする。
2回目のレースの結果、赤チームもそれなりに記録を伸ばしたが、チームワークの良い緑チームの記録の伸びにはかなわない。12秒差に迫られた。
● 荒川さんの思い
荒川さんは自分自身の経験から、人に教えることとチームワークの大切さを実感している。かつて、同じスケート教室で学ぶ後輩たちにジャンプの跳び方を指導した。跳べない友達にどうアドヴァイスするか、どう励ますか、それを工夫する過程で自分自身が成長したことを実感している。なぜできないかを考えることが、自分自身に演技をふりかえさせることになり、改めて気がつくことが多かったという。
2日目、荒川さんは教室で、自分の練習・競技歴とその節目節目での心の動きを整理した年表を見せる。そして、個人競技であるスケートも仲間のチームワークや、多くの人たちからの励ましがあったからこそ金メダルを胸に飾ることができたと語る。子どもたちに「勝つために大事なのは、お互いを思いやる心の結束」とアドヴァイスする。
● 自分たちで問題点を分析、練習 → 最後のレースへ
授業も大詰め、いよいよ最後のレースに向けての練習だが、その前に荒川さんは、子どもたちに、自分たちのタイムをどこでどう短縮できるか、工夫の余地がある要素を洗い出させ、短縮のための練習のしかたを考えさせる。バトンの渡し方、コーナーの曲がり方、応援の仕方、滑れない子へのアドヴァイスの仕方など、それぞれグループで話し合い、その項目を紙に書き出す。
その紙を持って再びリンクへ。各グループは練習計画に沿って練習。今度は、どのチームもみな協力し合っている。励ましあっている。
最後のレースとその結果。各チームそれぞれに記録を更新したが、青チームは21秒短縮で、赤チームを抜いてトップに立った。緑チームは12秒短縮で、赤チームにわずか2秒差まで追いついた。それまで一番タイムの悪かった黄チームは、順位こそ変わらなかったが、短縮時間46秒は1位、最初のレースからは何と2分10秒も速くなった。
最後に荒川さんは、子どもたち全員の頑張りをたたえ、「一生懸命やればきっとできる。大事なことは決してあきらめないこと。お互いを思いやる心の結束が大切」と結んだ。
●見事な荒川さんの授業、脳行動学の面からのポイントを整理すると・・・
① 「リレー」という共同行動,「チームの記録短縮」を課題として設定したこと
・自分一人の問題ではないので逃げられない。前に進むという姿勢になる。
・8人チームなので、一人ひとりにとっての気持ちの負担はそう大きくない。
・自分が頑張ればチームのタイムが上がるというやりがいもある。
→ やり始める事が大事。やり始めるとやる気が出る。
→ 頑張ればできそうと思えるとき、脳は活性化し意欲的になる。
②チームで教え合うことに力を入れて指導したこと
・教えるためには、相手の滑り方を観察するとともに、自分の滑り方を見直すという活動になる。
・何気なくやっていることの意味にも気づくことも多い。
→ 反省的・自覚的に脳を働かすことが、脳の活動として一番効率がよい。
③目標を実現するためのポイントを「チームの協力」とし、適切な時点で、具体的な目標と適切なアドヴァイスを与えたこと
・記録の伸びに差が出て、問題意識が芽生えたときに、自身の経験を材料として「チームワーク」の大切さを語った。
・チームで具体的な工夫をさせ、確実に成果が出るようにした。
→ 助け合って良い結果を得られれば、助け合うことが好きになる。
→ 成長が自覚できると頑張れる。
荒川さんは、「個人競技もチームでうまくなる」「助け合う仲間づくりこそ、全体の力が伸びる原動力」と教えたのである。助け合い、ともに喜び合える姿勢と手段を育てる。子と画でイメージさせるのではなく、子どもたち自身の活動の結果として、それを実感させたのである。
2008/01/18
17 脳が意欲的に働く条件
●やり始めると、やる気が出る
やる気(意欲)を生み出す場所は大脳辺縁系(*)の側坐核。そこの神経細胞が活動すればやる気が出る。側座核の神経細胞が活動すると、海馬と大脳の前頭葉に信号が伝えられ、シナプスを刺激してやる気を起こす神経伝達物質が送り出されるのである。
ただ、この側座核はなかなか活動しない。ある程度の刺激がきてから活動し始める。しかし活動が始まると側座核は自己興奮してきて活動が活発になる。特にやりたいと思っていなかったことでも、やっているうちに気分が乗ってきて集中力が高まる。「やることによって、やる気が起こる」ということである。
とすると、意欲(やる気)を起こさせるには、行動に導くための工夫が大事だということになる。やる気を起こす活動をしている側座核に強い刺激が伝わるように、学習や仕事を組み立てる必要があるということだ。
●脳は「快」の方向に働く
「快」の方向に働くというのが、脳の本性である。「快=自分にとって心地よい=安全」という、自分の生命を守る本能としての働きがあるからである。「不快=自分にとって心地が悪い=危険」となるからである。だから脳は、「快」の状態を好きになり、「不快」の状態を嫌いになる。「快」になる方向に行動し、「不快」を避ける行動をする。「好きなことは、言われなくてもやる」というのはそういうことだ。
快・不快の感情をつかさどるのは、やはり辺縁系の扁桃体。即座核と扁桃体の活動が、意欲を起こすための鍵となる。
●成長が自覚できると、頑張れる
いくら勉強してもわからない学習、いくらやっても成果が上がらない仕事には、だんだんやる気を失ってくる。この方法、この進め方でよいのかという疑問もおきてくる。逆に、自分の力が確実に伸びた、成長したと自覚できるとやる気が出る。成長が自覚できたときの喜び(快)が強い刺激となって側座核に伝わり、そのときの快感を持続したいと思うからだ。
進めて行く段階段階で成長が自覚できる、また目標に近づいていくという喜びや感動が生まれるような、学習や仕事をそのように組み立てるとよいということだ。
●「頑張ればできそう」と思えると、意欲的になる
脳がどういう課題を与えたときに一番活性化するかを、実験して調べたという。脳の血流量を調べたところ、簡単すぎる課題のときは、脳の血流量は上がらない。難しすぎる課題のときにもあがらず、むしろ低下してしまう。そして、少し頑張ればできるという程度の課題のときに、血流量が増えて脳が活性化していることがわかったという。
つまり、少し上の目標に向かっていくときに、一番意欲がわくということだ。目標に到るまでを、頑張ればできる、といういくつかの段階に組み立てて、少しずつ目標に迫っていくという学習の仕方,練習の仕方が、脳には適しているということである。
● 失敗したとき、やる気がでる
失敗は、不快である。脳は、失敗を避ける方向、不快を打ち消す方向へ活動する。だから、失敗しそうなことには手を出さない。しかし、失敗してしまったときにはやり直したいという気持ちが生まれる。失敗を修正して、不快の状態から抜け出したいのである。
だから、失敗したときは学習するチャンス、学習させるチャンスということだ。失敗を自覚していれば、同じ失敗をしない。意識の自覚ではなく、身体活動を含めた総合的自覚をさせ、自分自身で失敗を修正していく。修正できている、修正できた、という実感が得られれば、それは「快」になる。意欲的になる。
苦労を重ねて失敗を克服したとき、その喜びは大きい。また、仲間とともに助け合った経験も、大きな喜びをもたらす。そういう経験をしたものは、苦労が見えていても、また失敗の危険があっても、意欲的に取り組むようになって行くのである。
★脳を意欲的にするための考えるポイント
① 好きなこと,関心のあること
② 頑張ればできそうと思える目標の設定とその段階
③ 成長が自覚できる学習の組み立て(前段階との比較など)
④ 失敗の修正のしかた
*大脳辺縁系
大脳新皮質の奥に位置する。進化の早い過程できた部分。論理や言語活動を成立させる大脳新皮質(新しい脳)に対して、本能的に生き活動するための脳で、古い脳と呼ばれる。
やる気(意欲)を生み出す場所は大脳辺縁系(*)の側坐核。そこの神経細胞が活動すればやる気が出る。側座核の神経細胞が活動すると、海馬と大脳の前頭葉に信号が伝えられ、シナプスを刺激してやる気を起こす神経伝達物質が送り出されるのである。
ただ、この側座核はなかなか活動しない。ある程度の刺激がきてから活動し始める。しかし活動が始まると側座核は自己興奮してきて活動が活発になる。特にやりたいと思っていなかったことでも、やっているうちに気分が乗ってきて集中力が高まる。「やることによって、やる気が起こる」ということである。
とすると、意欲(やる気)を起こさせるには、行動に導くための工夫が大事だということになる。やる気を起こす活動をしている側座核に強い刺激が伝わるように、学習や仕事を組み立てる必要があるということだ。
●脳は「快」の方向に働く
「快」の方向に働くというのが、脳の本性である。「快=自分にとって心地よい=安全」という、自分の生命を守る本能としての働きがあるからである。「不快=自分にとって心地が悪い=危険」となるからである。だから脳は、「快」の状態を好きになり、「不快」の状態を嫌いになる。「快」になる方向に行動し、「不快」を避ける行動をする。「好きなことは、言われなくてもやる」というのはそういうことだ。
快・不快の感情をつかさどるのは、やはり辺縁系の扁桃体。即座核と扁桃体の活動が、意欲を起こすための鍵となる。
●成長が自覚できると、頑張れる
いくら勉強してもわからない学習、いくらやっても成果が上がらない仕事には、だんだんやる気を失ってくる。この方法、この進め方でよいのかという疑問もおきてくる。逆に、自分の力が確実に伸びた、成長したと自覚できるとやる気が出る。成長が自覚できたときの喜び(快)が強い刺激となって側座核に伝わり、そのときの快感を持続したいと思うからだ。
進めて行く段階段階で成長が自覚できる、また目標に近づいていくという喜びや感動が生まれるような、学習や仕事をそのように組み立てるとよいということだ。
●「頑張ればできそう」と思えると、意欲的になる
脳がどういう課題を与えたときに一番活性化するかを、実験して調べたという。脳の血流量を調べたところ、簡単すぎる課題のときは、脳の血流量は上がらない。難しすぎる課題のときにもあがらず、むしろ低下してしまう。そして、少し頑張ればできるという程度の課題のときに、血流量が増えて脳が活性化していることがわかったという。
つまり、少し上の目標に向かっていくときに、一番意欲がわくということだ。目標に到るまでを、頑張ればできる、といういくつかの段階に組み立てて、少しずつ目標に迫っていくという学習の仕方,練習の仕方が、脳には適しているということである。
● 失敗したとき、やる気がでる
失敗は、不快である。脳は、失敗を避ける方向、不快を打ち消す方向へ活動する。だから、失敗しそうなことには手を出さない。しかし、失敗してしまったときにはやり直したいという気持ちが生まれる。失敗を修正して、不快の状態から抜け出したいのである。
だから、失敗したときは学習するチャンス、学習させるチャンスということだ。失敗を自覚していれば、同じ失敗をしない。意識の自覚ではなく、身体活動を含めた総合的自覚をさせ、自分自身で失敗を修正していく。修正できている、修正できた、という実感が得られれば、それは「快」になる。意欲的になる。
苦労を重ねて失敗を克服したとき、その喜びは大きい。また、仲間とともに助け合った経験も、大きな喜びをもたらす。そういう経験をしたものは、苦労が見えていても、また失敗の危険があっても、意欲的に取り組むようになって行くのである。
★脳を意欲的にするための考えるポイント
① 好きなこと,関心のあること
② 頑張ればできそうと思える目標の設定とその段階
③ 成長が自覚できる学習の組み立て(前段階との比較など)
④ 失敗の修正のしかた
*大脳辺縁系
大脳新皮質の奥に位置する。進化の早い過程できた部分。論理や言語活動を成立させる大脳新皮質(新しい脳)に対して、本能的に生き活動するための脳で、古い脳と呼ばれる。
2007/12/10
16 「わかったか?」と聞くときの心構え
我々は「わかる」とか「わからない」という言葉をよく使うが、本当は、「わかったと思う」「わからないと思う」といった方が正しいだろう。
「わかる」「わからない」という言葉は、説明されたり教えられたりしたときの、その内容に対する理解の状態の自覚的表現だからである。教えられた内容を、すでに自分の脳―神経系の中にもっている言葉であったり、行動感覚であったりするものを手がかりとしてとらえた、その人の自覚の状態を表現したものなのである。
したがって、「わかったか?」と聞いた側の内容と、「わかった」と答えた側の内容とは、かならずしも一致してはいない。いや、むしろ一致していない方が多いのではないか。説明したり教えたりする側がイメージしている内容や身体感覚と、説明される側、教えられる側が持っているイメージや身体感覚は同じではない。それらは、経験が作り出すものだからである。経験が違えば、作られるイメージや身体感覚も当然異なってくる。
言葉もまた同じである。「高い山」とか「冬は寒い」といった簡単な言葉でさえ、平原に住んでいる者と山岳地帯に住んでいる者、温かい地域の者と寒い地域の者では、同じ意味を持たない。言葉は、経験と並行して、あるいは経験を整理する中で使われてくるからである。したがって、もっと複雑な内容の事柄、経験を土台にしての理解が必要な事柄を理解するのは、実に大変なことである。
言葉や図で説明されたことを、それを説明した者がイメージしているのと同じ内容や身体感覚を持つことができるには、説明した者と殆ど同等かそれ以上の行動経験をし、言葉での表現についても同等かそれ以上の経験をしてきているということが必要である。その経験を手がかりとして始めて、推測できるのである。
つまり、説明をして「わかったか?」と聞くときには、相手の経験を見つつ、聞かなければならない。説明の内容についての経験が殆どない場合の「わかったか?」と聞くのは、殆ど意味をなさない。「何についてどうわかったと思っているのか」を確かめる、という姿勢で対応する心構えが必要だ。
「わかる」「わからない」という言葉は、説明されたり教えられたりしたときの、その内容に対する理解の状態の自覚的表現だからである。教えられた内容を、すでに自分の脳―神経系の中にもっている言葉であったり、行動感覚であったりするものを手がかりとしてとらえた、その人の自覚の状態を表現したものなのである。
したがって、「わかったか?」と聞いた側の内容と、「わかった」と答えた側の内容とは、かならずしも一致してはいない。いや、むしろ一致していない方が多いのではないか。説明したり教えたりする側がイメージしている内容や身体感覚と、説明される側、教えられる側が持っているイメージや身体感覚は同じではない。それらは、経験が作り出すものだからである。経験が違えば、作られるイメージや身体感覚も当然異なってくる。
言葉もまた同じである。「高い山」とか「冬は寒い」といった簡単な言葉でさえ、平原に住んでいる者と山岳地帯に住んでいる者、温かい地域の者と寒い地域の者では、同じ意味を持たない。言葉は、経験と並行して、あるいは経験を整理する中で使われてくるからである。したがって、もっと複雑な内容の事柄、経験を土台にしての理解が必要な事柄を理解するのは、実に大変なことである。
言葉や図で説明されたことを、それを説明した者がイメージしているのと同じ内容や身体感覚を持つことができるには、説明した者と殆ど同等かそれ以上の行動経験をし、言葉での表現についても同等かそれ以上の経験をしてきているということが必要である。その経験を手がかりとして始めて、推測できるのである。
つまり、説明をして「わかったか?」と聞くときには、相手の経験を見つつ、聞かなければならない。説明の内容についての経験が殆どない場合の「わかったか?」と聞くのは、殆ど意味をなさない。「何についてどうわかったと思っているのか」を確かめる、という姿勢で対応する心構えが必要だ。
15 「わかる」ということ
人の話を聞いて「わかった」というのは、「わかったと思った」というだけのことが多い。
話がわかるというのは、話で使われている言葉がわかるということではない。もちろん言葉の意味がわからなければ、話はわからないのであるが、話の内容が本当にわかるということのためには、もっと多くのものを必要とする。 話の内容というのは、世の中の事実であったり、自然の事実であったりする。また、話をしている人の経験であったりする。話をする人は、その事実を見たり経験したりしたことから感じたこと考えたことを、自分の論理でまた自分の言葉で語っている。話を聞くというのは、その結果を受け取っているということである。
話が本当にわかるというのは、話をした人が感じたり考えたりしたことを、自分も同じように感じまた考えることができるということである。つまり、聞き手が話し手と同様に脳を働かせることができた場合に、それを本当にわかったというのである。聞き手が話し手と同様に感じたり考えたりすることができるには、話し手と同等もしくはそれに近い行動経験や論理を組み立てた経験がなければならない。なぜならば、感じることや論理を組み立てることは、そうしたことを経験することによって,脳の行動回路に蓄積されていく能力だからである。
したがって、教師が、自分より経験が少なく論理力思考力が未熟な生徒や学生に、感じたり考えたりする材料や経験する場をつくらず、学習させる内容を講義による説明だけで済ませるということは、行動形成の意味からはほとんど意味がない。
話がわかるというのは、話で使われている言葉がわかるということではない。もちろん言葉の意味がわからなければ、話はわからないのであるが、話の内容が本当にわかるということのためには、もっと多くのものを必要とする。 話の内容というのは、世の中の事実であったり、自然の事実であったりする。また、話をしている人の経験であったりする。話をする人は、その事実を見たり経験したりしたことから感じたこと考えたことを、自分の論理でまた自分の言葉で語っている。話を聞くというのは、その結果を受け取っているということである。
話が本当にわかるというのは、話をした人が感じたり考えたりしたことを、自分も同じように感じまた考えることができるということである。つまり、聞き手が話し手と同様に脳を働かせることができた場合に、それを本当にわかったというのである。聞き手が話し手と同様に感じたり考えたりすることができるには、話し手と同等もしくはそれに近い行動経験や論理を組み立てた経験がなければならない。なぜならば、感じることや論理を組み立てることは、そうしたことを経験することによって,脳の行動回路に蓄積されていく能力だからである。
したがって、教師が、自分より経験が少なく論理力思考力が未熟な生徒や学生に、感じたり考えたりする材料や経験する場をつくらず、学習させる内容を講義による説明だけで済ませるということは、行動形成の意味からはほとんど意味がない。
登録:
投稿 (Atom)