2018/11/04

49 自由に研究しろと言われても・・・②


★70%の親子が自由研究で悩んでいる 


 ベネッセ教育研究所の調査によれば、小学生を持つ家庭の70%が、夏休みの自由研究に悩んでいるという。
 自由研究であるのだから、当然学校では自由研究の指導は行わない。子どもの自由な発想と、何にもとらわれない方法で研究するのが建前である。何の縛りもない。何でも研究したいことを、好きな方法で研究すればよいのである。
 ところが、その自由研究に、70%の親子が悩んでいるというのである。

 そもそも、夏休みの自由研究のテーマが浮かばない。調べたいことがないのだ。
 そして、調べ方が思いつかない。どうやってよいのかわからない。
 子どもに泣きつかれて、親子で悩んでしまう。
 楽しいはずの夏休み、いったい何故こんなことが起こるのか。


★自由研究ができないのは、学校のせい


 結論から言うと、これは、学校でこどもの「研究力」を育てていないからである。

 今の学校では、整理された知識を教えることが中心になっている。
 多くのことについて「知っている子ども」を育てているということだ。
 そして、その教育の方向を正しい、と親も考えている。
 中学へ進む、高校に進むための試験に通らなけれなばらないからだ。
 子どもの疑問を引出し、興味を持たせ、考えさせるなどということをしている暇がないのだ。
 
 しかし、知識を詰め込むことにばかり頭を使っていると、不思議なことにも疑問もいだかず、いろいろなことに興味を持たない脳が出来上がってしまうのだ。

 

★脳本来の働き方は、探究的


 幼い子どもが、大人につぎつぎと「あれなあに?」「これなあに?」「ねえどうして?」「なんで?」と質問しているのを見たことがあるだろう。自分の経験として持っている人も多いことだろう。
 本来、子どもの脳(人間の脳というべきかもしれない)は、そう働くものだ。わからないこと、知らないこと、不思議なことを探究しようとするのである。自分を取り巻く環境が安全かどうかを調べるための本能的なはたらきだと言われている。

 その働きを抑えてしまっているのが、大人(親)であり、学校だと言えるだろう。
 「うるさいわね、だまってなさい」「今忙しいんだ」と子供の疑問を押しつぶし、学校の勉強以外に関心を持つと、「そんなことをやっている暇があれば勉強をしろ」「いつ勉強するのか。今でしょ!」と追い込むのである。


★知識の詰め込み型学習をしていると・・・


 試験のためにバラバラに詰め込んだ知識は、そのあとほとんど使われない。そして大半は数年、早ければ数カ月もたてば忘れてしまう。それに忘れてしまっても、何のさしつかえもない、そういう知識だ。
 しかしさしつかえるのは、脳の働き方が変わるということだ。主体的に考えることなく、ひたすら教えられたことを覚えるというような行動の仕方をしていると、そういう行動の仕方しかできない脳になってしまうのだ。

 しばらく前に、こんなコマーシャルがあった。
 新入社員らしい女性が、先輩に怒鳴られ怒鳴られ、落ち込みながら仕事をする映像に、次のようなナレーションが重なる。
 「学校では、余計なことを考えるな、言われたとおりに勉強しろと言われた。会社に入ったら、そんなことを人に聞くな、自分で考えろ、と怒られる・・・」
 何のコマーシャルだったのか覚えていないのだが、これは笑えない事実だ。

 

★生きる力を育てるための学校なのだから


 こう考えてくると、現在の夏休みの自由研究の位置づけそのものがおかしい。
 学校の普段の授業では知識を詰め込み、いっぱいいっぱいにしておいて、さあ夏休みです、自由に考え研究してくださいと言って、放り出す。
 日頃から学校の勉強ばかりにとらわれず、本能のままに疑問を追究している子どもはやっていけるかもしれないが、まじめに、知識を詰め込むばかりの勉強をしてきた子どもは、急に違うことを要求されて困ってしまうのだ。

 子どもたちがいずれ出ていくことになる社会、仕事の場には、初めから決まった答えがあるわけではない。観察、予測、実験、結果の分析、修正、そうしたことの連続であり積み重ねである。主体的で、研究的な行動の仕方こそ力となる。
 さまざまなことがらに対し、子どもに興味を持たせ、疑問を引き出し、考えさせ、調べさせる、そうした姿勢と方法を育ててやることこそ、学校の役目ではないのか。
 
 子どもが自分の力で、自信を持って生きていく力を育てることこそ、教育の本当の目標だと思う。
 夏休みの自由研究の責任を家庭に押し付けるのではなく、普段の授業こそを、子どもの研究心を育てるものに切り替える必要があるということだろう。